「医療過誤」という言葉が周知されるようになった背景
日本のドラマ史にその名を刻む名作、『白い巨塔』。医学界がはらむ問題に鋭く切り込んだ社会派ドラマですが、原作となる山崎豊子氏の同名の小説とともに、ご記憶されている方も多いことでしょう。このドラマの中ではとくに、「医療過誤」の判断の難しさが実に鮮明に描かれており、今見返してもその描写は胸に迫りくるようです。
医療関係者からしても、患者からしても、「医療過誤」は非常に恐ろしいことですが、『白い巨塔』では、医師に対して医療過誤を主張する患者を、まるで常識を持たない人物であるかのように描いていました。かつては、患者側が声高に医療過誤を主張することは、かなり特殊なケースだったのです。
ただ近年では、そのような「医療過誤」に対する認識もずいぶんと変化しました。2000年前後にいくつかの医療過誤が続き、それらをマスメディアが大きく取り扱ったのをきっかけに、患者側が声を上げるようになったからです。この時期から「医療過誤」は、悪い結果を出した医師に対する非難の言葉として使われるようになったと記憶しています。
しかし、それで「医療過誤」の定義が明快になったのかといえば、そうではありません。いくら患者が声を大にして医師を非難できる時代となっても、やはり「医療過誤かどうか」の判断は、非常に難しいのです。
医療行為に過失があった場合=「医療過誤」だが…
そもそも医療過誤とは何を指すのでしょうか。
医療行為が原因となって患者さんに悪い結果が起こった場合を「医療事故」といいます(もっと広義には、医療関係者の針刺し事故なども医療事故に含まれます)。この「医療事故」のうち、医療行為に過失があった場合を「医療過誤」といいます。医療行為に過失がない場合(の多く)を「合併症」と呼んで医療過誤とは区別しています。
医療過誤ということになれば、「病院側は損害賠償額をいくら支払うのか?」という話が出てくることになります。
さて、ここで4つの事例を挙げてみたいと思います。下記の中で、医療過誤でない可能性があるものは、いくつあるでしょうか。
①点滴の針が入らずに3回やり直して成功したが、内出血した。
②胸腔穿刺で肝臓を傷つけ、輸血が必要なほど出血した。
③大腸内視鏡の検査中に大腸の壁に穴が開き、緊急手術となった。
④胎盤早期剥離で緊急の帝王切開術を行って児を娩出したが、児は脳性麻痺となった。
実は、このうちでは2番を除き、医療過誤ではない可能性があります(3番は特殊な事例を想定したものですが)。
法律における「過失」の概念とは?
実は、この「過失」というのが曲者なのです。過失という言葉は、日常の中でもよく耳にします。例えば、交通事故であれば「過失割合」、刑事事件であれば「過失犯」など、ニュースを見聞きすれば、それなりの頻度で出てくるでしょう。そして、皆さんはなんとなく理解した気になって、聞き流していると思います。
しかし、ここでいう「過失」とは、法律上の概念のことです。過失があったかどうかを理解するのはそう簡単ではありません。「医療事故」か「医療過誤」かの違いを判断する場面で、初めて法律が出てくることになります。
しかも、過失があるかどうかを判断するには、法律上の概念を理解しているだけでは不足で、そこで行われた医療行為を理解する必要があるのですが、その医療行為を理解するのが容易ではありません。
つまり、医療過誤かどうかを判断しようと思うと、「医療行為がどのようなものであったか」を理解したうえで、「法律上の過失があったかどうか」を判断しなければならないのです。
ここで少し「過失」について掘り下げてみたいと思います。
法律上の過失は、「注意義務違反」といわれるものと(ほぼ)同じです。そして注意義務違反というのは、平たくいうと「○○すべきだったのに、○○しなかった」ことを意味します。
医療過誤は、よく交通事故と対比して考察されます。交通事故では「前方注意義務違反」といった注意義務違反が指摘されますが、これはつまり、
「前方を見て人(や物)にぶつからないように注意して運転すべきだったのに、よそ見をして前方を見なかった」
という、注意義務違反のことを指しています。
「すべきだったこと」とは「法律上そのように行動することが期待されていること」ですから、例えば、陸橋の上から人が飛び降りて走行中の車に当たったとしても、車には過失がないことになります。
法律上、車を運転しているときに、上からなにか降ってくることへの注意は求められていないため、「上から人が落ちてこないか注意すべきだったのに」とはいえないからです。
医療機関・医師の立場ごとに「注意義務の水準」は違う
交通事故のケースは事例の累積も多く、交通事故のパターンごとに過失についての統一的な見解がある状況ですので、判断は比較的容易です。また、そもそも車の運転は、誰しも同じ注意義務を求められています。
ところが医療過誤では、医療機関ごとに期待されている注意義務が異なります。
医療過誤の場合には、注意義務のことを「医療水準」といい換えて使われることが多いのですが、小さなクリニックで期待される医療水準と、大学病院などの大病院で期待される医療水準は異なるというのが法律上の考えです。その上、各医師の役割によっても求められる医療水準は異なると理解されています。
健診でレントゲンを見ている医師と、外来でレントゲンを見ている医師とでは、求められる医療水準が違うとされています。
最近では、病気などを対象にガイドラインが作成されていることが多く、比較的わかりやすくなってきてはいますが、どこまでが医療水準として求められているのかが判別しづらいこともあり、そのような場合は医療訴訟も長期化することが多いのです。
注意義務違反があるかどうかの基準だけでも、これだけ複雑なものになっている上に、さらに理解が難しいのが、「医療行為としての妥当性がわからない」という問題です。
本記事の最初のほうで4つの事例をあげ、医療過誤かどうかをお考えいただきましたが、そのうちの「①点滴の針が入らずに3回やり直して成功したが、内出血した」の場合、採血するときに1回で血管をあてる義務があるでしょうか? 2回であてる義務なら? 内出血を防ぐ義務は?
こう考えると、医療の現場をよく理解していなければ、見当外れな主張をすることにもなりかねません。
一般的な医療従事者であれば、見ることのできない部分に針を刺して採血をしている以上、時として血管を傷つけるのは避けられないことであり、いくら注意していても、場合によっては内出血が起こることを知っているので、「内出血をしないように採血すべきであったのに」とはいわないでしょう。
その上、カルテの記載のみから、その場でどのような医療行為があったのかを判断することは困難であり、その点からも、医療過誤かどうかの判断がいかに難しいかがわかります。
さて、『白い巨塔』の事案では医療過誤はあったのでしょうか?
次回からは、本当に医療過誤なのかどうかの判断が難しい、ギリギリの症例を見ていきましょう。
平野 大輔
小笠原六川国際総合法律事務所
弁護士・医師