終活において、難しいのは「本人の意思」が「客観的な利益」と矛盾する場合です。周囲がよかれと思って提案する治療や環境改善が、本人にとっては「余計なお世話」であり、尊厳を傷つける行為になることも少なくありません。本記事では、西川満則氏、福村雄一氏、大城京子氏、小島秀樹氏共著の書籍『終活の落とし穴』(日本経済新聞出版)より、肺がんと認知症を抱えた70代男性と、虚弱が進行した80代おひとりさま女性の2つの事例から、終活で本人の意思を尊重する本当の意味について考えます。
ケアマネに悪態をつく、変わり者の80代おひとりさま女性…「いつ死んでもいい」と言い張り、床ずれが悪化しても〈硬いソファー〉を絶対に手放さなかった理由 (※写真はイメージです/PIXTA)

「床ずれが悪化するので、ソファーを捨ててください」訪問看護師の“正しい指導”

次に、「生活の場におけるACP(※)と倫理判断」をめぐる事例を取り上げてみます。私の地域の、あるケアマネジャーさんの戸惑いについて伺った話です。

 

※Advance Care Planningの略称で、もしものときのために、望む医療やケアについて前もって考え、家族や医療・ケアチームなどと繰り返し話し合い、共有する取り組みのこと。

 

虚弱がとても進行した80代の女性で、口から何とか食べられるものの、とにかく偏食で食が細い方でした。また、後からカギになってくる日常生活動作として、お気に入りのソファーまではなんとか移動できて座れるものの、お尻に床ずれができているといった状況にありました。

 

本人の人柄や性格を表すエピソードに触れたいと思います。生涯独身で、2年前に同居していた姉を亡くしました。テレビのリモコンは同じ場所に置かないと気が済まないような几帳面で、少し変わり者、ケアマネジャーにも悪態をつくけどなぜか憎めないといった評判があります。

 

ある時、昼間から部屋のブラインドが下りているのを見つけた地域の民生委員が、心配してその方のケアマネジャーのところに来たのですが、ケアマネジャーは、こだわりとして昼間からブラインドを下ろしている方であり、毎日ケアが入っていてそのことを把握していることも伝えたそうです。また、硬いソファーに座ると褥瘡が悪くなると注意されるので、「わかった、わかった」とその場では言うけど、医療者が帰ってしまうと、普通にそのソファーに座っている。それで、「いつ死んでもいい」が口癖でした。

 

ある日、訪問看護師AがケアマネジャーBに向かって、「褥瘡が悪くなるから、ソファーを撤去しておいて」と言いました。少し戸惑ったBは、仲間の福祉用具専門相談員Cにこう相談しました。「訪看Aが撤去しろと言うけれど、本人は死んでもいいと言っているし、お姉さんとの思い出が詰まったソファーが落ち着くのではないかなぁ、ソファーはそのままでもいいと思うけど、どう思う?」そこで、Cも「そんなことをしたら、自殺を助けてしまうことになるのではないかしら」と答えました。

 

この話からの学びとして、日常生活の中にも必ずACPはあるということです。姉を亡くしてからは頑張れない、人生に思い残すことはもうない、病院にはかかりたくない、床ずれはあっても自由にさせてほしい、強制されたくない、知り合い以外と接するのは疲れる。こうした発言を本人の意思の一つとして受け止めて考えることも、一つのACPの立派な形である、そうお伝えしたいと思います。