終活において、難しいのは「本人の意思」が「客観的な利益」と矛盾する場合です。周囲がよかれと思って提案する治療や環境改善が、本人にとっては「余計なお世話」であり、尊厳を傷つける行為になることも少なくありません。本記事では、西川満則氏、福村雄一氏、大城京子氏、小島秀樹氏共著の書籍『終活の落とし穴』(日本経済新聞出版)より、肺がんと認知症を抱えた70代男性と、虚弱が進行した80代おひとりさま女性の2つの事例から、終活で本人の意思を尊重する本当の意味について考えます。
ケアマネに悪態をつく、変わり者の80代おひとりさま女性…「いつ死んでもいい」と言い張り、床ずれが悪化しても〈硬いソファー〉を絶対に手放さなかった理由 (※写真はイメージです/PIXTA)

一般に最善だと思うことが、本人にとっては最善でないことは往々にしてある

もう一つ、日常生活の中にも臨床倫理があると言えます。この例では、床ずれがあってもソファーに座りたいといって、本人はソファー撤去療法を拒否しているわけです。一方で、褥瘡を治すことは医学的に良いという、明らかな医学的な常識があります。しかし、撤去を望まない本人の意思のほうが、医学的な最善よりも優先される。それが基本的な倫理原則なのではないか、と思います。

 

懸命な読者はもう理解されていると思いますが、医療面であっても、生活面であっても、一般に最善だと思うことが、本人にとっては最善でないことは数多くあります。本人の嫌がる意思決定をしてしまうことは、絶対に陥ってはいけない「落とし穴」です。肝に銘じておいてください。

 

以上、事例を提示しました。本人の人生や生活に光をあてることはなかなか難しいけれど、それが重要だと思います。認知症の患者も多いなか、「本人だけで決めるのではなくて皆で決める、でも、本人が中心」。そんな意思決定のあり方があるのだということを述べました。

感情の「落とし穴」

さて、ここまでの事例では、いろんな終活の「落とし穴」を説明しました。これは、考え方の基本を身につければ、その場所を見つけることができます。しかし、その場所さえ分からない「落とし穴」があります。人には制御できない感情の「落とし穴」です。

 

私は、理屈よりも感情、知識よりもコミュニケーションが重要と考えます。終活の「落とし穴」にはまりたくなかったら心に留めてください。しかし、それがわかっていても、制御できない感情もあります。

 

 

西川 満則 

福村 雄一 

大城 京子 

小島 秀樹