かつては親が子の手を引いてくれたのが、今は子が親の手を引く番へ。頭では分かっている「親の老い」。しかし、実際目の当たりにすると、ついつい急かしたり苛立ったりしてしまう子どもは少なくありません。本記事では、西川満則氏、福村雄一氏、大城京子氏、小島秀樹氏共著の書籍『終活の落とし穴』(日本経済新聞出版)より、終活の現場で頻発する親子の衝突と、スムーズに手続きを進めるために必要な「基準の調整」について解説します。
「休みは今日しかないのに…」付き添いで一緒に行った役所の手続き。震える手でサインに手こずる親を見て、子どもがつい放ってしまった〈残酷な言葉〉 (※写真はイメージです/PIXTA)

親子の役割が逆転するタイミング

終活専門の司法書士として仕事をしていてよく感じることは、どこかのタイミングで親子の役割が逆転するということです。子育てと介護をイメージするとわかりやすくなります。

 

子育ての際に親が子どもに対して行っていたことを、介護の際に子どもが親に対して行うようになることが多いということです。子育ての際に本を読み聞かせていたのは親であったでしょう。道を歩くときに手を引くこと、危なくないように注意して歩くように促すなども親が子に対して行ってきたと思います。ところが、親が高齢になるにつれて、支えを必要とする側と支える側の役割が変わっていきます。何かの説明書を親に読み聞かせるのが子どもになり、道を歩くときに親の手を引くのは子どもというようになります。

 

役割の変化は明確にどの時点で変わるということではなく、徐々に徐々にグラデーションが濃くなって変わっていきます。しかし、親子の中の意識はなかなか変わりません。特に子どもの側の意識が変わらないように思います。

 

例えば、退職した親の日々の時間の過ごし方や感じ方と、働いている子どもの時間の過ごし方と感じ方にはギャップがあることが少なくないと思います。親を役所や金融機関に連れていく必要があるときに、子どもは「休みはこの1日しかない」ということがよくあると思います。限られた時間で物事を進めていこうとしたときに、親の受け答えがゆっくりになっていたり、書類にサインするのに時間がかかったりすると、子ども世代はその待ち時間に耐えられず、待てなくなることが多いように思います。

 

そうなると、子どもは親を注意したり、叱責することが多くなります。「なぜこんな簡単なことができないのよ」「ここに書くって言ってるじゃないか。ここだよ、ここ」「そうじゃない、今そんな話をしてないよ」「え? また同じことを聞くの?」子どもは親の変化に気づいていないわけではありません。ただ、ふと立ち止まって考えたことがないだけです。

 

ご自身のことを思い浮かべていただきたいのですが、子ども側の意識の中にある「親の姿」は、判断する能力も身体の能力もしっかりしていた頃の親の姿ではないでしょうか? 親子のやり取りの基準が、幼少期や社会人になるまで親子で過ごした時代の基準になってはいませんか? ハッとされた方もいらっしゃるかもしれませんが、いつまでも親がそうであるわけではありません。子どもから叱責された親は「こんな風になって情けない」「子どもに迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちになることも多いでしょう。