できることなら、最期まで自分らしく……多くの人が万一のときの理想として掲げていますが、実際に思いを叶える人は少ないもの。また最期の瞬間に向けての選択を、家族に委ねられることも少なくありません。 そしてその選択に苦しむことになるケースも。ある男性の選択についてみていきます。
「その延命治療、正しかったのでしょうか…」80歳父の胃ろうを決断した54歳長男の慟哭。「生きていてほしい」という願いが招いた、あまりに残酷な「最後の1年」 (※写真はイメージです/PIXTA)

「とにかく生きていてくれればいい」という家族のエゴ

「父の喉元にチューブが繋がれ、言葉も発せず、ただ天井を見つめている姿を見るたびに、自問自答するんです。『俺は親父を生かしたかったのか、それとも親父の死に目に遭いたくなかっただけなのか』と」

 

千葉県に住む会社員・高田雅之さん(現57歳・仮名)。3年前、80歳だった父・正造さん(仮名)が重度の誤嚥性肺炎で倒れた際、医師から「胃ろう」の選択を迫られました。

 

「当時の父は認知症が進んでいましたが、私の顔を見るとニコッと笑う愛嬌のある人でした。医師からは『口から食べる機能はもう戻らない。栄養を摂るには胃ろうを作るしかない』と説明されました。母はすでに他界しており、決断できるのは私だけ。迷いはありませんでした。『お願いします、父を助けてください』と頭を下げたんです」

 

胃ろうの造設手術に2万円ほど、また月5万円ほどの医療費がかかったといいますが、(保険適用)、胃ろうにより身体的な栄養状態は改善しました。しかし、認知症の正造さんにとって、お腹から突き出たチューブは「異物」でしかありませんでした。

 

「父は何度もチューブを引き抜こうとしました。そのたびに病院から呼び出され、最終的に医師から『抜かないように手をベッド柵に固定(身体拘束)させてもらいます』と言われました。見舞いに行くと、父はミトンをはめられ、手足を縛られた状態で『家に帰りたい、飯を食わせろ』と叫んでいました」

 

その姿を見たとき、雅之さんは初めて自分の選択が正しかったのか疑問に感じたといいます。「生きていてほしい」という自分の願いが、結果として父から自由を奪い、ベッドに縛り付けるような結果を招いてしまったわけです。