(※写真はイメージです/PIXTA)
「俺は顔が広い」という勘違い
都内の分譲マンションで一人暮らしをする大崎修二さん(69歳・仮名)。大手企業の営業職として定年まで働き、還暦を過ぎてからは関連会社の顧問職も経験しました。長男は大阪で結婚し、長女も都内で家庭を持っています。そして一昨年、長年連れ添った妻をすい臓がんで亡くしました。
「寂しくないと言えば嘘になりますが、子どもたちもそれぞれの生活がありますからね。それに、現役時代は営業でしたから、外の付き合いは広いほうだと思っていましたよ。スマホの電話帳には500件以上入っていますし」
大崎さんは、自身の人間関係についてそう語ります。 趣味のゴルフには、月に一度はかつての同僚と出かける。行きつけの居酒屋に行けば、顔なじみの店主と言葉を交わす。自分はニュースで見るような「孤独な老人」とは違う――。大崎さんは、そう信じて疑いませんでした。
国立社会保障・人口問題研究所『2022年 社会保障・人口問題基本調査 生活と支え合いに関する調査』によると、日常生活における頼れる人の有無を尋ねたところ、一人暮らしの高齢女性は5.4%に対して、男性は24.9%。
多くの日本人男性において、人間関係の結節点となっていたのは「会社」と「妻」です。この2つを失ったとき、残された膨大な「連絡先」が、実は空虚なものであることに気づく人は少なくありません。大崎さんもまた、その現実に最も過酷なタイミングで直面することになりました。
大晦日の夜、39度の熱と「選別」のリアル
異変が起きたのは、世間が新しい年を迎える準備に追われていた、12月31日の夜のことでした。夕食に蕎麦を茹でようとキッチンに立った瞬間、強烈な悪寒が走り、その場にうずくまってしまいました。何とか寝室に這っていき熱を測ると、体温計は39.2度を示していました。
「頭がガンガンして、節々が痛い。インフルエンザかコロナかわかりませんが、とにかく動けなくなってしまった。冷蔵庫にはビールと日本酒しか入っていない。水も食料もない状態で、これはマズいと思いました」
かかりつけのクリニックは当然、正月休みに入っています。意識はあり、呼吸も苦しくはないため、救急車(119番)を呼ぶべきか躊躇われました。
「誰かに水と薬を買ってきてもらえないか」。その一心で、大崎さんは枕元のスマートフォンを手に取りました。 そして指は、「息子」と「娘」の名前の上で止まりました。普通に考えれば、遠慮なく電話すべき相手です。しかし、大崎さんは発信ボタンを押せませんでした。
「大晦日の夜でしょう。息子のほうは、向こうの親御さんと食事中だと言っていました。娘のほうも、孫たちがはしゃいでいる時間帯です。そこに、『熱が出た、助けてくれ』なんて電話を入れたらどうなるか。場の空気はしらけるし、向こうの親御さんにも気を遣わせる」
なにより、大崎さんの指を止めたのは、父親としての小さなプライドでした。
「ずっと『俺は大丈夫だ、元気だ』と言ってきたんです。それが、たかが熱が出たくらいで、子どもに泣きつくのかと。まだ意識はある。そうなると、途端に『迷惑をかけたくない』という気持ちが勝ってしまった」