長年勤め上げた先に手にする退職金。その使い道として「住宅ローンの完済」を選ぶ人は少なくありません。ところが、重い固定費から解放され、安泰な老後が始まるはずだったある夫婦を待ち受けていたのは、想定外の出費でした。住宅を所有し続ける限り、避けては通れないメンテナンスの壁。一括返済によって手元の資金を減らしてしまうことが、その後の生活にどのようなリスクをもたらすのでしょうか。
退職金2,800万円「ローン完済」した60歳の末路。年金生活に入った直後、自宅に漂う「異臭」と「修繕費1,000万円」の誤算 (※写真はイメージです/PIXTA)

「住宅ローン完済」で喜んでいたが…

佐々木和夫さん(65歳・仮名)は、都内のメーカーで35年間勤務し、5年前の60歳の時に定年を迎えました。その後、65歳までは同じ会社で再雇用としてフルタイムで勤務。今春、年金受給開始と共に完全に引退しました。

 

現役時代の最終的な年収は約850万円、60歳の定年時に受け取った退職金は約2,800万円。32歳の時に千葉県内の戸建てを購入しましたが、残っていた住宅ローン約1,200万円をすべて、もらった退職金で一括返済しました。

 

「退職金2,800万円のうち、1,200万円でローンが消える。そう考えれば安いものだと思いました。妻の恵子(63歳・仮名)とも相談して決めたことです。65歳から始まる本格的な年金生活において、毎月12万円の返済を続けるのはリスクが大きい。払いきってしまえば、あとは固定資産税などの維持費を払うだけで済みます。私たちの年金は夫婦合わせて月に約25万円。これなら十分に生活していけると考えたんです」

 

完済の手続きを終えた日の夜、夫婦は近所の寿司屋で食事をしました。「これで住居費の心配はなくなった」「これからは趣味や旅行にお金が使えるね」といった会話を交わしたことを、和夫さんは記憶しています。当時の貯蓄残高は、一括返済を行い、さらにその後の再雇用での給与収入を加味すれば、老後資金としては万全であるという認識でした。

 

しかし、再雇用期間を終えて完全に仕事から離れ、年金のみでの生活が始まった直後のことです。1階にある和室に入った和夫さんは、室内に湿ったようなイヤな臭いが漂っていることに気づきました。

 

「最初は掃除をしていないからかと思いましたが、壁紙の一部が不自然に浮き上がっているのを見つけました。剥がしてみると、内側の木材が黒く変色していて、指で押すと簡単に崩れるほど腐食が進んでいたんです」

 

和夫さんは近所のリフォーム業者に点検を依頼しました。業者の報告によると、屋根の防水シートが耐用年数を過ぎて機能しておらず、外壁のひび割れから浸入した雨水が土台の柱にまで達していました。さらに、その湿気によってシロアリが発生し、構造部を浸食しているという事実も判明しました。

 

「業者から提示された見積額は、屋根の葺き替えと外壁の補修、土台の入れ替えと防蟻処理を含めて450万円でした。直さないとそのまま住み続けるのは難しいと言われ、残していた退職金から出す決断をしました」

 

補修工事が終わった直後の冬、今度は給湯器が故障します。交換作業の過程で、床下の配管から水漏れが発生していることが分かりました。キッチンや浴室、トイレといった水回り設備も設置から25年以上が経過しており、一箇所の修理では済まず、結果的に水回り全体の刷新が必要となりました。この工事で追加の350万円を支出することになります。

 

さらに同時期、妻の恵子さんの膝の持病が悪化しました。階段の上り下りや浴室での動作に支障が出るようになり、住宅のバリアフリー化が急務となりました。玄関へのスロープ設置、各所への手すりの取り付け、トイレの改修などにより、さらに200万円の費用が発生しました。

 

「ローンを返した後の5年で、合計1,000万円近い現金が住宅の維持と改修に消えました。60歳の時に一括返済をして手元の現金を大きく減らしていたので、年金生活に入った直後のこの連続した出費は想定外でした。手元に残ったのは、日々の生活を守るためのわずかな予備費だけです」

 

和夫さんは現在、月25万円の年金の中から、将来再び発生する可能性のある修繕費用を積み立てるため、趣味の園芸や外出を控え、現役時代よりも支出を抑えた生活を送っています。