(※写真はイメージです/PIXTA)
「持ち出しなし」の住み替え計画に潜んでいた誤算
郊外の私鉄沿線に、35年ローンで4LDKの一軒家を構えていた山下智志さん(60歳・仮名)と妻の由紀子さん(60歳・仮名)。定年を機に、この自宅を3,500万円で売却しました。ローンはすでに完済しており、売却益の全額と退職金2,200万円を合わせた5,700万円が、彼らの住み替え資金となりました。
「いつまでも車を運転できるわけじゃない。老後を見据えて、徒歩圏内で生活が完結する都心のほうがいい」と考えた二人。都内にある20坪の土地に3階建てを新築しました。
土地・建物合わせて5,500万円。諸経費を含めると約6,000万円となり、手元の退職金から300万円を持ち出しましたが、残りの1,900万円を老後資金に充てる「ローンなし」の計画でした。
この新居の目玉が、智志さんの強い希望で導入した250万円のオプション「屋上庭園」でした。「都心の夜景を見ながら、友人や親戚を招いてバーベキューを楽しみたい」という夢をかなえるため、あえて庭のない狭小地を選び、その分を屋上の空間に投資したのです。
住み替えから半年。長女の絵里奈さん(32歳・仮名)が新居を訪ねました。そこで目にしたのは、期待していた賑やかな交流の場ではなく、ひっそりと静まり返り、活用されている形跡のない屋上の光景でした。
「お父さん、あんなに楽しみにしてた屋上、全然使ってないの?」
絵里奈さんの問いに、智志さんは視線を落として答えました。
「それがさ、引っ越し祝いに一度やってみたんだけど、もう懲りちゃってね。1階のキッチンから3階の屋上まで、何度も階段を往復して重い荷物を運ぶのが、とにかく面倒で。これなら外の店に行ったほうが楽だなって話になったんだよ」
理由は動線の不備だけではありませんでした。住宅密集地ゆえに隣家との距離が近く、炭の煙や会話の音がダイレクトに響いてしまいます。一度開催した際、隣のマンションのベランダに干された洗濯物や視線が気になり、それ以来、火を使うことが心理的にできなくなってしまったのです。家計面でも、生活の利便性と引き換えにした「想定外」が重なっていました。
「年金は月25万円あるから大丈夫だと思っていたけど、都心は固定資産税が郊外時代の1.5倍もするんだ。それに、屋上は防水メンテナンスが欠かせないから、将来のために月々1万5,000円を積み立てていて。使っていない場所にお金がかかるのは、なんだか皮肉だよね」
妻の由紀子さんも、間取りの難しさを口にします。
「屋上へ行くには、必ず私たちの寝室を通らなきゃいけないでしょ。友人を呼ぶたびに部屋を完璧に片付けて、狭い階段を上り下りして……。おもてなしどころか、最後の方は二人ともヘトヘトになっちゃったの」
手元に1,900万円近い現金は残っているものの、智志さんは、活用できていない屋上の維持費を払い続け、近所に気兼ねしながら暮らす日々に、言いようのない虚しさを感じているといいます。