「はじき(速さ・時間・距離)」や台形の面積の公式。私たちは子どもに多くのことを「記憶」させようとしますが、世の中には「考えれば分かる」ことばかりです。しかし、この「記憶」に頼る学習こそが、子どもたちが算数の文章題でつまずく原因となっています。本記事では、船津洋氏著『「地頭力」を鍛える子育て:自ら学び、考える力がアップする確かな方法』(大和出版)より、本質をイメージできない学習の限界について考察します。
行き時速60キロ、帰り時速40キロ、往復の平均時速は?…“地頭”が悪い人が「時速50キロ」と即答してしまう理由 (※写真はイメージです/PIXTA)

世の中考えれば分かることばかり

人が学習して知識を得るとはどういうことでしょうか。言語学の世界では、人の言語の習得に関してさまざまな研究が行われています。「人はいかにして母語を獲得するのか」という議論は、現代言語学の関心の中心です。言語の習得に関しては、人は生まれたときは何も知らない「タブラ・ラサ(白紙の板)」の状態で、経験から知識を身につけるという考え方と、それに対して、人は生まれつきある程度の知識を持っていて、それを思い出すのだとする生得説、あるいはプラトンの「想起説」などがあります。

 

言語習得は知能の高い成人でも長年の努力を要する作業です。それを幼児は、家庭という質量ともに乏しい言語環境に置かれるにもかかわらず、誰にも教わることなくわずか2年ほどで達成します。しかも、身につける言語の質はどの子をとっても驚くほどの均質性を見せています。このことから、「生まれながらに、何らかの知識を持っているのではないのか」という生得説を唱える学者たちも少なくありません。

 

生得説に関してしばしば引用されるのが、プラトンの『メノン篇』に現れる奴隷の子の一説です。ソクラテスは、奴隷の少年に対し、数学的な問題を、図を使って問答法で導く実験を行うのですが、その少年は教育を受けていないのに答えを導き出すことができた、ということです。具体的には「とある長さの一辺を持つ正方形の倍の面積の正方形の作り方」ですが、もちろん数学の知識など持ち合わせない奴隷の子は、それが「正方形の対角線を一辺とする正方形」であることにたどり着くというお話。

 

ここで伝えたいのは、「教えなくても考えれば分かる」という点です。三角形の面積も「底辺×高さ÷2」と教わりますが、長方形の面積が「底辺×高さ」であれば、その底辺と高さをもつ三角形の面積は「その面積÷2」で得られることは考えれば理解できるのです。台形も同様で「(上底+下底)×高さ÷2」と公式を知らなくても、この答えには考えればたどり着くことができます。おそらく、小学校低学年でも気づく程度の事柄でしょう。

 

また、速さと時間と距離の関係についても「はじき」などという公式を用いることが一般に行われていますが、時速(速さ)とは「1時間に進む距離」という定義を理解すれば「はじき」など使わずに答えが導けるのです。たとえば、次のような問題をあなたはどう解きますか?