(※写真はイメージです/PIXTA)
その「読める」、本当に「分かってる」?
人の頭の中はブラックボックスです。深く話せば、ボロを出すかもしれませんが、浅い会話では、その人がどれだけ理解しているのかは全然分かりません。「はい」と返事をしたものの、こちらの指示とはまったく異なる作業をする部下がいたら大変でしょう。
2018年、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子著・東洋経済新報社刊)という本がベストセラーになりました。この本では、簡単な意味内容が理解できない子がいかに多いのかを、具体例をもって提示しています。ここで紹介されている子どもたちは、文字を読むことはできているのですが、理解ができていないようなのです。
文字から音声を導いたり、反対に音声の状態の言葉を文字に置き換えたりする能力を「音韻符号化」といいます。「読んでも分かっていない」という子は、「音韻符号化はできているが、心内表象化ができていない」ことなのです。これは、一体どういうことか、といぶかる向きもあるかもしれませんが、実は多くの日本人は日常的にこの経験をしています。どのシーンかというと、それは「英語」です。
大抵の人は、少なくとも中高で6年間、4年制大学に進学した人であれば加えて2年間は英語を学んでいます。ところが日本人の多くは、「英語は読めば理解できるが、しゃべれない」と感じているようです。しかし、これは誤った理解です。英語を「読めば」の部分までは問題ありませんが、果たして「理解」できるのでしょうか。
次の文章は、F・S・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー(The Great Gatsby)』の冒頭を引用します。これで100語です。日本語では300文字程度なので原稿用紙1枚にも満たない内容です。いかがでしょう。
In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.“Whenever you feel like criticizing anyone, ”he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.” He didn’t say anymore, but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that. In consequence, I’m inclined to reserve all judgments, a habit that has opened up many curious natures to me and also made me the victim of not a few veteran bores.
F・S・フィッツジェラルド著
『グレート・ギャツビー(The Great Gatsby)』