(※写真はイメージです/PIXTA)
青い海、青い空に癒される「穏やかな日々」を夢見たが…
都内システム開発会社で管理職を務め、60歳で定年退職した田中悟さん(仮名)。仕事一筋だった反動からか、セカンドライフに求めたのは「誰にも邪魔されない、徹底的に穏やかな時間」でした。
「現役時代は常に納期と人に追われる毎日でしたからね。退職したら、海の見える静かな場所で、溜め込んだ本を読んだり、観たかった映画を心ゆくまで観たり……そんな生活に憧れをもっていました」
移住先として選んだのが沖縄。旅行で何度か訪れた際に見た、エメラルドグリーンの海とどこまでも青い空、そして温暖な気候。最高の環境で、ゆったりとした毎日を送ることができる……そんな夢を妻・聡子さんに語ると「大賛成!」と二つ返事でOKだったといいます。そして退職金2,300万円の一部を充てて本島中部の海が見える静かな集落に居を構えました。
しかし、その理想は早々に打ち砕かれます。移住して数日、庭の手入れをしていると、隣家の人が「あんた、新しく来た人ね?」と気さくに声をかけてきました。それが始まりでした。
「ありがたい話なのですが、沖縄では人の距離が想像以上に近かった。朝は『今日の天気は……』と誰かが訪ねてきて、昼は『これ作ったからお裾分け』とチャイムが鳴る。週末には地域の集まりや『模合(もあい)』への誘い。プライベートな時間がどんどん削られていく感覚でした」
インドア派で、一人の時間をこよなく愛する悟さんにとって、この「沖縄らしい」人の温かさは、かえって大きなストレスとなっていきました。一方、外交的な性格の聡子さんは、どんどんコミュニティに馴染んでいく――そのギャップがかえって悟さんを孤独にしました。移住から1カ月が経つころにはすっかり参ってしまい、「もう無理かもしれない。東京が恋しい……」と、思わず涙を流してしまったといいます。
沖縄に移住してよかったと思えた嵐の夜
転機が訪れたのは、その数週間後。大きな台風が島を直撃し、田中さんの家は停電に見舞われました。心細い夜を過ごしていると、ドアを叩く音。そこに立っていたのはお隣さん。手にはランタンと、温かい手料理。
「『停電で大変だろうと思って』と、嵐の中をわざわざ持ってきてくれたんです。あの時、これまで鬱陶しいとさえ感じていた人の繋がりが、どれだけ心強いものか、身に沁みてわかりました」
この日を境に、悟さんは少しずつ心を開いていきます。お隣さんに勧められるまま、地域の公民館で開かれている三線サークルに顔を出してみることに。最初は戸惑ったものの、優しい音色と、指一本から音楽が生まれる面白さにすっかり魅了されました。
「まさかこの歳になって、新しい趣味に夢中になるとは思いませんでした。今ではサークルの仲間と集まるのが、何よりの楽しみです」