「給料を上げるから辞めないでくれ」。これは会社が社員の引き止めに使う常套句です。しかし、転職を決意した35歳以上のミドル社員は、給与アップを提示されても9割以上が会社を去るという厳しい現実が、調査で明らかになりました。給与だけでは解決できない根深い問題、そして、安易な引き止めが招く「キャリア停滞」という残酷な末路についてみていきます。
「給料を上げるから辞めないでくれ」は罠か?一度辞意を伝えた〈35歳以上社員〉に待ち受ける「キャリア停滞」の末路 (※写真はイメージです/PIXTA)

なぜ響かない? 「給与アップ」でも心はつなぎ止められない

転職を決意したミドル世代(35歳以上)の引き止めは、ほとんどが無意味に終わる――。エン・ジャパンが行った調査から、そのような厳しい実態が明らかになりました。転職コンサルタントの大半は、引き止め交渉で実際に残留するミドルは「1割にも満たない」とみています。企業は「年収アップ」で慰留しようとしますが、一度固まった決意を覆すのは至難の業です。

 

会社を辞めようとする社員に対し、企業はどのような手段で引き止めようとするのでしょうか。転職コンサルタント230名への調査で最も多かった答えは、やはり「年収アップの提示」(62%)。続いて「後任が見つかるまで待ってほしいという要請」(55%)、「希望の部署へ異動させるという打診」(38%)といった条件が並びます。

 

給与アップは魅力的であり、会社側が見せられる最大の誠意と考える向きもあるでしょう。しかし、コンサルタントの62%が、引き止めに応じて転職を思いとどまるミドルは「1割未満」だと回答しています。「1~3割程度」(28%)という回答と合わせると、実に9割が「成功率は3割以下」と見ていることになります。

 

退職を決断する背景には、給与だけでなく、会社の風土、人間関係、将来性への不安といった、より根深い理由があるためです。

 

では成功する見込みが低いのに、なぜ企業は引き止め交渉に時間を割くのでしょうか。調査で「引き止められやすい状況」を尋ねると、その答えが見えてきます。トップは「後任がいない場合」(65%)、次いで「進行中のプロジェクトを抱えている」(45%)、「専門性が高く代わりがいない」(43%)と続きました。

 

この結果は、多くの企業で計画的な人材育成、すなわちサクセッションプランが機能していない実態を示唆しています。

引き止め事例…成功と失敗

実際の引き止め交渉の現場では、どのようなドラマが繰り広げられているのでしょうか。

 

キャリアアップにつながった成功例

ある外資系企業でNo.2の地位にいた人物。彼が退職を申し出ると、日本の支社長はおろか、米国本社のCEOまでが交渉の席につきました。提示されたのは、年収アップはもちろん、「アジア圏の新規事業責任者」という新たなポスト、さらには「家族全員を米国本社へ招待」という破格の条件。彼は最終的に会社に残ることを決意しました。また、新卒から35年勤め上げた人が、長年希望していた部署への異動を約束され、キャリアを全うすることにしたという円満なケースもあります。

 

キャリアを破壊する失敗例

しかし、引き止めが良い結果ばかりを生むとは限りません。ある不動産会社では、唯一の資格保有者が退職しようとした際、社長が「お前のせいで支店が潰れるんだぞ」と責任を転嫁しました。精神的に追い詰められた彼は、すでにもらっていた内定を辞退するしかありませんでした。

 

さらに深刻なのは、残留したあとのキャリア停滞です。一度は会社を裏切ろうとした人間。そんなレッテルを貼られ、昇進の道が事実上閉ざされてしまう。あるいは、正社員登用を条件に引き止められたのに、まったく畑違いの部署へ異動させられる。こうした話は、その場しのぎの引き止めが、いかに個人の未来を奪う危険をはらんでいるかを示しています。