大規模管理における入居審査の現実

かつては、入居審査のすべてを町の不動産会社の社長が判断する、という管理会社も少なくありませんでした。しかし、4万室、5万室といった大規模な物件を管理する弊社のような立場からすると、私がすべての入居者に直接会って判断することは不可能です。
たとえ社長が「この人は信用できる」と判断したところで、それが滞納しない保証にはなりません。お部屋を貸して終わりではなく、そこから毎月確実にお支払いいただく関係が続くわけですから、入り口となる審査のあり方は常に大きな課題となります。
家賃滞納で訴訟を起こしても、お金は返ってこない現実

万が一、家賃滞納で訴訟に踏み切っても、お金が返ってくる可能性は低いのが現実です。訴訟で「債務名義」を得て、給与差し押さえなどの強制執行は可能になりますが、「強制執行できること」と「お金を回収できること」は別の問題です。そもそも家賃を払えない経済状況のため、差し押さえる財産がないケースが少なくありません。残念ながら、最終的に債権が焦げ付く可能性が高いのです。
まずは強制執行で部屋を明け渡してもらうことが先決です。その後、滞納額について分割払いなどの交渉を進めますが、連絡が取れず行方不明になる方もいます。その場合は弁護士に依頼し、所在を調査してもらうほかありません。
不動産賃貸ビジネスの特殊性は、一度契約すると「役務提供を簡単に終えられない」点です。家賃滞納を理由に、入居者を強制的に退去させることは非常に困難です。よくあるのが、家賃の一部だけを支払うケースです。例えば家賃10万円で3ヶ月滞納し30万円の未払いがある状況で、「今15万円なら払えます」といった交渉をされることがあります。貸主には不十分ですが、一部でも支払うことで「弁済の意思がある」と見なされ、裁判所が立ち退きを命じにくくなるのです。これは一般の商売では見られない特殊な状況です。
携帯電話料金ならサービスを止めれば損害の拡大は防げます。電気やガスも同様です。しかし、不動産賃貸は医療に似ており、入院費が未払いでも患者を放り出せないように、簡単にはサービスを止められません。最初に住居を提供し、対価を後から回収する金融の性質も持っています。さらに厳しいのは、滞納者がいる期間中でもその部屋を他の方に貸せず、収益機会を失い続ける「機会損失」が発生する点です。
オーナー様は物件の稼働率や家賃設定に最も関心があるでしょう。しかし、実際には契約通りに家賃が支払われないケースが相当数あります。弊社の管理物件では、入居者の約8%が毎月何らかの形で支払いが滞ります。5万人の入居者がいれば、毎月4000人が滞納している計算になり、これは非常に大きな数字です。
信用がないと生きづらい「現代社会」と「アメリカのリアル」

現代社会、特にグローバルに見ると、「クレジット(信用)」がなければ生きていくのは非常に困難です。クレジットカードがないと公共交通機関の利用が難しい国もあります。中国の顔認証決済なども個人のクレジット情報に接続されており、信用がない人は便利なサービスから排除されます。現金を使わない社会ほど「信用」の価値が上がり、信用の有無が貧富の差を拡大させかねません。
アメリカには「クレジットスコア」という明確な信用の尺度があり、この社会はフェアであると同時に残酷です。一度スコアを下げると、這い上がるのは容易ではありません。スコアが低い人は、住宅ローンも消費者ローンも高金利なものしか利用できず、返済はますます苦しくなります。逆にスコアが高い人は、低金利のファイナンスで資産を増やしていきます。これは日本も同じ構造ですが、アメリカはよりシビアです。金融的に恵まれた人がより安く資金を調達できる一方、そうでない人は借りづらいという現実は残酷です。
「アメリカは失敗を許容する国だ」と言われますが、これには補足が必要です。これは主に、企業経営者が会社の事業で個人保証をする必要がなく、日本のように自己破産で職業が制限されるケースが少ないという点です。また、「過去に2回会社を潰した」と聞いても、日本では懸念されますが、アメリカでは「経験豊富だ」と評価されることがあるなど、社会の見方も異なります。
金融における「カテゴライズ」と「柔軟性」のジレンマ

クレジットスコアが低い人でも、高い保証料を払うことで利用できるサービスは存在します。保証料を上乗せする分、利用は認めるという考え方です。信用情報に問題がなければ保証料を安く、問題があれば高く設定する保証会社もあります。
しかし、金融は基本的に見知らぬ他人との取引ですから、何らかの形でカテゴライズ(分類)しなければ、膨大な申し込みを効率的に扱えません。また、情報の非対称性がある以上、クレジットスコアで融資条件が変わるのは当然ですが、現在の日本の金融、特に住宅ローンはその柔軟性に欠けています。商品が均質なためか、「借りられるか、借りられないか」の二択で判断されがちです。
たとえば、信用情報が少し低くても、4000万円の価値がある物件なら、半分の2000万円までは回収できる可能性が高いはずです。このように、金額や金利で調整する「リスクアジャスト」な対応がもっとあっても良いはずです。ローンが「通るか通らないか」というゼロイチの判断になるのはなぜか、と疑問に思います。

株式会社アーキテクト・ディベロッパー
代表取締役社長 木本 啓紀
ゴールドマン・サックス証券株式会社アジア・スペシャル・シチュエーションズ・グループに18年間在籍。ローン債権、債券、不動産、エクイティ、証券化商品、オルタナティブなどあらゆるプロダクトを対象とした投資業務を経験。その後、ソフトバンクグループ株式会社に転じ引き続き投資業務に従事。2019年9月 当社取締役に就任。その後、ソフトバンクグループを退職し、2021年9月 代表取締役CEOを経て、2025年7月代表取締役社長に就任、現在に至る。

