親が亡くなったあと、お世話になった病院への支払いを済ませるのは、子として当然の行動かもしれません。しかし、その何気ない行為が、後に発覚した多額の借金から逃れられなくなる「落とし穴」になる可能性があるとしたら…。相続に潜む、知られざる注意点を見ていきます。
亡父の預金から「入院費30万円」を支払った58歳男性の末路。「借金2,000万円」を放棄できず、絶望でしかない (※写真はイメージです/PIXTA)

相続放棄の分かれ道…「単純承認」とみなされる行為とは?

そもそも相続は、亡くなった方(被相続人)の預貯金や不動産といったプラスの財産だけでなく、借金や未払金などのマイナスの財産もすべて引き継ぐのが原則です。マイナスの財産が明らかに多い場合、相続人は「相続放棄」という手続きを家庭裁判所で行うことで、一切の財産を引き継がない選択ができます。

 

しかし、注意しなければならないのが「単純承認」とみなされる行為です。単純承認とは、相続人が被相続人の財産をすべて受け継ぐ意思表示をしたと法的に判断されることを指します。民法第921条では、相続人が「相続財産の全部または一部を処分したとき」は、単純承認をしたものとみなすと定められています。

 

一度、単純承認が成立してしまうと、たとえ後に多額の借金が発覚したとしても、原則として相続放棄は認められなくなります。

 

問題は、何が「相続財産の処分」にあたるかです。鈴木さんが行ったように、被相続人の預貯金を引き出して入院費を支払う行為も、この「処分」に該当する可能性があるのです。

 

他にも、下記のような行為は単純承認とみなされるリスクがあります。

 

・被相続人名義の預貯金から借金を返済する

・被相続人が借りていたアパートの滞納家賃を支払ったり、部屋の片づけ(遺品の形見分けを除く大規模なもの)をしたりする

・被相続人宛ての保険金を受け取り、使う

・遺産分割協議を行う

 

もちろん、例外もあります。同条文には、相続財産の価値を維持するための「保存行為」は、処分にはあたらないとされています。たとえば、腐敗しやすい食品を廃棄したり、壊れそうな家屋を修繕したりする行為です。

 

被相続人の入院費の支払いが、この「保存行為」にあたるかどうかは、専門家の間でも見解が分かれる非常にデリケートな問題です。特に、病院から請求され、支払期限が到来しているものを支払う場合は保存行為と認められる可能性もありますが、まだ支払期限が来ていないものを前倒しで支払うと「処分」と判断されるリスクが高まります。

 

では、鈴木さんはどうすればよかったのでしょうか。

 

最も安全な方法は、相続放棄を検討している段階では、被相続人の財産には一切手をつけないことです。そして、どうしても入院費などを支払う必要がある場合は、被相続人の預貯金からではなく、相続人自身のポケットマネーから支払うことです。これであれば、相続財産に手をつけていないため、「処分」にはあたりません。

 

その際、重要なポイントは、支払った費用の領収書の宛名を、亡くなった父親の名前ではなく、支払った相続人自身の名前にしてもらうことです。これにより、後日「自分が立て替えて支払った」という証拠を残すことができ、万が一のトラブルを防ぐことにつながります。

 

相続放棄には、原則として「自己のために相続の開始があったことを知った時から3ヵ月以内」という期限があります。親族が亡くなった後は、精神的にも時間的にも余裕がないことが多いですが、財産の取り扱いについては細心の注意が必要です。判断に迷うことがあれば、安易に行動する前に、速やかに専門家に相談することが賢明な判断といえるでしょう。

 

[参考資料]

裁判所『司法統計』

e-Gov 民法第921条

法テラス『相続・成年後見に関するよくある相談』