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「あり得ない決断」に隠された母の愛
亡くなった父・浩一さんは、事業がうまくいっていないなか、2,000万円もの借金を抱えたまま、この世を去りました。浩一さんは亡くなる直前、智子さんに借金があることと、自分が亡くなったら保険金で返済するようにと言い遺したといいます。
「父が遺した生命保険は、奇しくも借金とほぼ同額だったようです。でも、母はその保険金を返済には使わず、すべて手元に残したまま、自ら働きながら30年かけて借金を返し続けていたんです。私には、到底理解できませんでした。何のために父は保険金を残したのか、と」
生命保険文化センターの『2024年度 生命保険に関する全国実態調査』によると、世帯主の普通死亡保険金額は平均1,936万円。浩一さんが遺した保険金は、決して少ない額ではありませんでした。なぜ母は、そのお金に手を付けなかったのか。
「母は言いました。『借金を返すのは本当に大変だった。でも、お父さんが遺してくれたあのお金があったから、私は安心してあなたたちを育て上げることができたのよ』と」
保険金で借金を返済すれば、目の前の負債はなくなります。しかし、手元に蓄えは一切残らず、明日からの生活に絶望しなくてはなりません。保険金を「お守り」として残しておけば、借金はなくならないけれど、万が一のときのための資金があるという精神的な支えになる。それが、絶望の淵に立たされた母が下した、裕子さんにとってはあり得ない決断だったのえす。
「父が遺した保険金はそのままで、『今は私の老後の安心になっているの。お父さん、さまさまね』と、母はあっけらかんと笑うんです」
30年を経て知った真実
「もう私たちも大人なんだから、言ってくれたら何かできたかもしれない。お母さんだけが苦労することはなかったじゃない?」
そう訴える裕子さんに、智子さんは静かに首を横に振りました。
「親の借金は、子どもには関係ない。それに何より、あなたたちに『借金を残していなくなったお父さん』だなんて思ってほしくなかったの。自慢のお父さんのままでいてほしかったのよ」
そして、こう続けます。
「今思えば、相続放棄という手もあったのかしら……まあ、借金があったから私は頑張れたのだから、よかった、よかった」
またケラケラと笑う母の姿に、裕子さんは言葉を失いました。民法上、親が亡くなり相続が発生した場合、借金などのマイナスの財産も引き継がれます。しかし、相続人が「相続の開始があったことを知った時」から3ヵ月以内に家庭裁判所で手続きをすれば、「相続放棄」をすることも可能です。ちなみに相続放棄をしても、保険金の受取人固有の財産として扱われるため、生命保険金は原則として受け取ることができます。
女手ひとつで2人の子どもを育て上げ、夫の借金を30年間も一人で返済し続けた母。その笑顔の裏にあった覚悟と、家族への深い愛情を知り、改めて母の偉大さを感じたといいます。
[参考資料]
生命保険文化センター『2024年度生命保険に関する全国実態調査』
法テラス『相続・成年後見に関するよくある相談』