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故人の遺志を尊重した「家族葬」という選択
八木青子さん(仮名)の母、千代さんが87歳で亡くなったのは、今年の初夏でした。青子さんは52歳、夫と大学生の娘が一人います。世帯年収は750万円ほど。娘の大学の授業料や老後の費用を考えると、暮らしに大きな余裕があるわけではありません。
母の千代さんは、自宅で書道教室を開き、多くの子どもや大人に慕われる先生でした。しかし、夫(青子さんの父)を早くに亡くしてからは国民年金(月額6万5,000円程度)で暮らし、貯蓄のほとんどは自身の入院費などで使い果たしています。築50年の小さな持ち家はありましたが、駅からも遠く、資産価値はあまり期待できません。
葬儀社に相談すると、やはり最近は家族葬が増えており、費用も一般葬よりかなり抑えられるとのこと。生前の母が「私のときは、質素でいいからね。大げさなことは望んでいないわ」と話していたことも、青子さんの背中を押しました。経済的な事情と、母の遺志。その両方を考え、青子さんが家族葬を選ぶのは、ごく自然な流れでした。
「母は永眠いたしました」
母の千代さんは、穏やかで誰にでも優しい人でした。40年以上にわたり続けた書道教室は、ただ字を教えるだけでなく、地域の人々が集うコミュニティの中心のような場所でした。生徒たちにとって、千代さんは「人生の師」であり、近所の方々にとっては、いつも笑顔で話を聞いてくれる、頼れる存在だったのです。
青子さんは、母が亡くなったこと、そして葬儀は母の遺志に沿って近親者のみで執り行った旨を、親戚や関係者へ葉書で報告しました。それが、思わぬ事態の始まりに……。
葉書を送った数日後から、青子さんの携帯電話が鳴りはじめます。電話の相手は、母の教え子や長年の友人たちでした。
「先生には、最後にお目にかかってご挨拶がしたかった……」
「どうして一言、知らせてくださらなかったの?」
全員が、青子さんを責めているわけではありません。しかし、その声色には、深い悲しみとやり場のない戸惑いが滲んでいました。
さらに、実家の近くに住む叔母からは、もっと直接的な声が届きます。
決定打は、母の一番弟子だったと名乗る年配の女性が、生徒代表として八木さんの自宅まで訪ねてきたことでした。彼女は強い口調でいいます。
よかれと思って選んだ家族葬が、母を慕ってくれた人々を深く傷つけ、かえって大きな手間と心労を生んでしまったようです。青子さんは、終わりのみえない対応に疲れ果て、「こんなことになるなら、家族葬なんてするんじゃなかった……」と、いまはそう静かに悔やんでいます。