近年、葬儀の形は大きく変化しています。かつて主流だった一般葬に代わり、ごく近しい親族のみで故人を見送る「家族葬」を選ぶ家庭が、コロナ禍を経てさらに増加しました。費用を抑えられ、心静かにお別れができるというメリットがある一方、その選択が思わぬ後悔に繋がるケースも少なくありません。
家族葬なんてするんじゃなかった…年金72万円の87歳母との別れ。世帯年収750万円の娘は「安く済む」「心静かに送れる」と安堵も、火葬数日後に大後悔のワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

故人の遺志を尊重した「家族葬」という選択

八木青子さん(仮名)の母、千代さんが87歳で亡くなったのは、今年の初夏でした。青子さんは52歳、夫と大学生の娘が一人います。世帯年収は750万円ほど。娘の大学の授業料や老後の費用を考えると、暮らしに大きな余裕があるわけではありません。

 

母の千代さんは、自宅で書道教室を開き、多くの子どもや大人に慕われる先生でした。しかし、夫(青子さんの父)を早くに亡くしてからは国民年金(月額6万5,000円程度)で暮らし、貯蓄のほとんどは自身の入院費などで使い果たしています。築50年の小さな持ち家はありましたが、駅からも遠く、資産価値はあまり期待できません。

 

葬儀社に相談すると、やはり最近は家族葬が増えており、費用も一般葬よりかなり抑えられるとのこと。生前の母が「私のときは、質素でいいからね。大げさなことは望んでいないわ」と話していたことも、青子さんの背中を押しました。経済的な事情と、母の遺志。その両方を考え、青子さんが家族葬を選ぶのは、ごく自然な流れでした。

「母は永眠いたしました」

母の千代さんは、穏やかで誰にでも優しい人でした。40年以上にわたり続けた書道教室は、ただ字を教えるだけでなく、地域の人々が集うコミュニティの中心のような場所でした。生徒たちにとって、千代さんは「人生の師」であり、近所の方々にとっては、いつも笑顔で話を聞いてくれる、頼れる存在だったのです。

 

青子さんは、母が亡くなったこと、そして葬儀は母の遺志に沿って近親者のみで執り行った旨を、親戚や関係者へ葉書で報告しました。それが、思わぬ事態の始まりに……。

 

葉書を送った数日後から、青子さんの携帯電話が鳴りはじめます。電話の相手は、母の教え子や長年の友人たちでした。

 

「先生には、最後にお目にかかってご挨拶がしたかった……」

「どうして一言、知らせてくださらなかったの?」

 

全員が、青子さんを責めているわけではありません。しかし、その声色には、深い悲しみとやり場のない戸惑いが滲んでいました。

 

さらに、実家の近くに住む叔母からは、もっと直接的な声が届きます。

 

「ご近所や生徒さんたちが、青子さんは少し冷たいんじゃないかって……。先生を独り占めしたかったのか、なんていう人までいて、おばちゃん、なにもいえなかったわ」

 

決定打は、母の一番弟子だったと名乗る年配の女性が、生徒代表として八木さんの自宅まで訪ねてきたことでした。彼女は強い口調でいいます。

 

「私たちにとって、先生は母親も同然でした。せめて、皆で集まってお別れをする会を開いてはいただけないでしょうか」

 

よかれと思って選んだ家族葬が、母を慕ってくれた人々を深く傷つけ、かえって大きな手間と心労を生んでしまったようです。青子さんは、終わりのみえない対応に疲れ果て、「こんなことになるなら、家族葬なんてするんじゃなかった……」と、いまはそう静かに悔やんでいます。