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定年を境に部長から嘱託社員へ…充実した日々だったが
「40年以上、この会社に人生を捧げてきたつもりでした。まさか、こんな惨めな終わり方が待っているなんて……」
力なく語る斉藤浩二さん(64歳・仮名)。新卒で入社したメーカー一筋。53歳で新規事業を推進する新しい部の部長職に就き、年収は1,200万円を超えていたといいます。多くの部下を育て上げ、社内での人望も厚かった浩二さん。60歳で定年を迎えたあとも、会社からの強い慰留を受け、嘱託社員として同じ部署で働く道を選びました。「年金をもらうようになるまでは働こうと思っていた」と浩二さん。給与は下がったものの、長年慣れ親しんだ職場で経験を活かせることに、やりがいを感じていました。
「最初の2年間は、穏やかなものでした。役職からは外れましたが、部長や課長が『斉藤さん、ちょっといいですか』と相談に来てくれる。若い社員に昔の経験を話してやる。顧問のような立場で、それなりに充実していました」
妻の明美さん(62歳・仮名)も、「定年後も夫は生き生きと働いていた」と振り返ります。
「定年後も会社に必要とされているのが、本人も嬉しかったんだと思います。給料は下がりましたが、夫婦2人で暮らすには十分すぎるほどでしたし、私も安心していたんですが……」
役職が外れ、嘱託社員になったことで、年収は1,200万円から300万円台に。それでも仕事にやりがいを感じていたといいます。しかし、状況は一変します。浩二さんが手取り足取り仕事を教え、課長から部長へと強く推薦した後輩、田中健太氏(48歳・仮名)。自分が育てた愛弟子が、自身のいたポストに就くことになりました。それは本来、浩二さんにとっても誇らしい出来事のはず。しかし、この人事が、浩二さんの会社員人生を地獄へと突き落とす引き金となったのです。