突然、罵声を浴びせる母
朝と夜、そして週末の休み。家族との時間は、もはや安らぎの時間ではなくなったといいます。最近になって敏子さんには、物盗られ妄想が見られるようになったといいます。
「最初は、『ヘルパーさんがお金を盗んだ』と言い始めました。もちろんそんな事実はありません。でも、母は頑として聞かない。次は隣の家の人が、と。だんだん、疑いの目が私に向くようになって……」
その日も、はじめさんは残業を終え、くたくたになって帰宅しました。リビングのドアを開けると、仁王立ちになった敏子さんが待ち構えていました。部屋の中は荒らされ、タンスの引き出しがすべて開け放たれています。
「何かあったの?」と、はじめさんが声をかけると、敏子さんは鋭い目つきで彼を睨みつけ、こう言い放ちました。
「お前が、私のお金を盗んだんだろう。通帳がないんだ。どこにやった!」
これまで、どんなに理不尽なことを言われても、「病気のせいだ」と自分に言い聞かせてきました。しかし、たった1人で育ててくれ、誰よりも信頼していたはずの母親から泥棒扱いされたことは、はじめさんにとって大きなショックだったといいます。
「頭が、真っ白になりました。違うよ、と言ってもまったく耳を貸さない。それどころか、『この恩知らず!』と罵声を浴びせられ、『ああ、もうダメだ』と思ってしまった。そのような自分も許せなくて……」
その日はなんとか母を寝かしつけたものの、よく分からない負の感情で頭がいっぱいになり、一睡もできなかったといいます。そんな介護生活を語るうちに、これまでの出来事、母との思い出、そして先の見えない未来が一気に押し寄せ、嗚咽が漏れていました。
厚生労働省の資料によると、今後の在宅生活の継続に向けて、主な介護者が不安に感じる介護として最も多く挙がったのが「認知症状への対応」で28.6%。「外出の付き添い、送迎等」27.3%、「入浴、洗身」17.8%と続きます。はじめさんのように、認知症を抱えた家族との関係、対応の仕方に悩んでいるケースは多いようです。
また在宅介護においては、家族だけで抱えがちとなり、孤立化を招くことも珍しくありません。そこで大切なのは、介護者自身を最優先することです。介護者が倒れてしまっては、共倒れという最悪の事態を招きかねないでしょう。地域包括支援センターやケアマネジャー、専門医、あるいは同じ境遇の人が集まる家族会など、支えてくれる存在は近くにあります。まずは勇気を出して誰かに話すことが、介護で共倒れしないための第一歩になります。
【参考資料】
厚生労働省『令和4年 国民生活基礎調査』
厚生労働省『在宅介護実態調査の集計結果』(試行調査結果)