親の失業や事業不振、突発的な家計の急変――。予期せぬ事情で、大学進学を支えるはずだった家庭の計画が、ある日突然崩れることがある。夢を諦めないために多くの学生が頼るのが奨学金だが、それは学びの機会を得るための「希望」であると同時に、当然ながら卒業後の人生に長く続く「負債」という現実も伴う。本記事では、Aさんの事例とともに、奨学金を借りる若者の実情について、アクティブアンドカンパニー代表の大野順也氏が解説する。
夢を抱いて上京した18歳。東京の大学入学まもなく北陸の40代・月収100万円の両親から「緊急連絡」で絶望…一時帰郷も、地元の「変わり果てた姿」に再び絶望したワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

稼いで家族を支えるために

大学1年生の年末、上京後初めて実家に帰省したAさんは、かつて観光客で賑わった温泉街が閑散としている光景を目にし、言葉を失った。馴染みの店の多くは一時休業や廃業を余儀なくされており、親や地域の現状に胸が痛んだ。この体験が、「家族を支え、地元をなんとかしなければ」という思いを一層強めた。

 

Aさんは奨学金やアルバイト代で生活費や学費をやりくりしつつ、将来のための貯金もなんとか行っていた。また、課外活動にも積極的に取り組み、大学の研究室では地域活性化に関する分野を精力的に学び、休みの日には都心で行われる各地域のイベントを手伝うなど、地元への想いを胸に学び続けていた。一方で、友人からの誘いを金銭的な理由で断ることも少なくなく、「自分だけ別の時間を生きているような感覚」に苛まれることもあったという。

 

廃業に追い込まれた家業の宿

大学3年の春、両親から実家の宿を廃業するという知らせが届いた。地元の人々の支援や融資を受けても、経営を続けることは困難だった。幼いころから誇りだった宿がなくなる――その現実にショックを受けつつも、「両親のために、地元のために、また、自分の夢を実現させるためにも、もっと努力をしよう」という覚悟が芽生えたと、Aさんは当時を振り返る。

 

就職活動では、当初志望していた観光業から方向転換。若いうちから努力次第で稼げる成果報酬型の営業職を選び、不動産会社に就職。まずは経済的に家族を支える道を選んだ。

 

現在、社会人2年目のAさんは月2万7,000円の奨学金返済を行っている。住民税も加わり、可処分所得の少なさを実感しているが、営業としての成果もではじめ、繰上げ返済を計画しているという。

 

「大学時代の友人が地方に関わる仕事をしている話を聞くと、遅れをとっている気がして焦ったこともありました。でもいまでは、それが刺激に変わりました。まずは奨学金を完済して、その先には両親の宿を復活させる、それが私の夢です」