親の背中を見て育った子どもたちも、いずれ人生の折り返し地点を迎えます。かつて強かった親たちも少しずつ変化し、何気ない日常の出来事ややりとりのなかに、時として目を背けたくなる現実が顔をのぞかせることがあります。
惨めだな…〈年金月20万円〉79歳元教員の父が号泣。1年ぶりに帰省した54歳長女に明かした「切なすぎるワケ」 (※写真はイメージです/PIXTA)

1年ぶりの帰省、事前に帰る日を伝えたはずだったが…

実家に帰ると、ほんの少しの違和感に気づくことがあります。以前よりも小さくなった親の背中、以前よりも小さくなった歩幅、飲み薬の数……。1年ぶりに帰省した鈴木明美さん(仮名・54歳)も、小さな違和感を覚えたといいます。

 

夫や大学生の子どもたちよりも一足先の帰省。賑やかになる前に、親娘水いらずの時間を過ごそうと、家族より2日早くの帰省でした。しかしチャイムを鳴らしても家の中から反応がありません。「今日の午後に帰るって言ったはずなのに……」。その後もチャイムを何度鳴らしても応答はなく、スマートフォンに電話をかけても、呼び出し音が虚しく鳴るだけでした。

 

「忘れて出かけちゃったかな」

 

仕方なく、合鍵で中に入ることにしました。すると、整然とした室内には妙な気配がありました。台所の冷蔵庫には小さなメモがびっしり貼られ、「火を消す」「戸締まり」など、普段ならあえて書く必要のない注意事項が目立ちます。ふと見ると、テレビの横のカレンダーには「娘が帰省」と大きな文字。それなのに、家に父・佐藤博さん(仮名・79歳)の姿はありません。

 

「おかしいな」と不安に思いながら、実家のリビングでくつろいでいましたが、30分が経ち、1時間が経ち……やはり、博さんが帰ってくる気配がありません。再度電話をかけ続けた明美さん。やっとつながった相手は警察官を名乗りました。「えっ? 詐欺?」と挙動不審になってしまいました。電話に出た相手は、冷静に話しかけてきました。

 

「ご家族の方ですか? 佐藤さんという高齢の男性を保護しています。道に迷われていたようです」

 

言葉を失いました。まさか、父が道に迷うなんて。警察署まで父・博さんを迎えに行った明美さん。顔色は悪くなかったものの、どこか力の抜けた表情が気になりました。「何があったのか――」。問い詰めるような形になるのはまずいと思い、何事もなかったように家に戻りました。「今年の夏も暑いね」などと取り留めもない話をし、「簡単なものでいいよね」と、久々に手料理を振る舞った明美さん。すると夕食を囲む食卓で、博さんは唐突に目を潤ませ、ぽつりと語りました。

 

「今日、明美が来るってわかってたのに……道がわからなくなった。何度も同じ場所をぐるぐる回って、気がついたら交番の前にいたんだ」

 

目を伏せた博さんは続けました。

 

「最近、物忘れがひどくてな。今日は、とうとう自分の家への帰り道がわからなくなってしまった。惨めだよな……」

 

佐藤さんは公立中学校の元教員。教壇に立ち、多くの生徒を導いてきた誇り高き人生を送ってきました。退職後は妻と静かに過ごしていましたが、5年前に先立たれ、以後は一人暮らし。料理も洗濯も問題なくこなし、近所の人々とも適度な交流がありました。月に受け取る年金は約20万円。貯金も堅実に蓄えており、老後の経済的な不安はなく、明美さんも「お父さんは大丈夫」と太鼓判を押して安心していました。それだけに、今回の迷子騒動と涙の告白は、あまりに衝撃的な出来事でした。

 

「認知症だと思う。ただ怖くて、医者に行けないんだ」

 

涙が止まらなくなった博さん。しばらく重苦しい空気が食卓を支配しました。