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9割が感じる「孤立」…贅沢とは程遠い現実
鈴木さんが経営していた会社は20年ほど前に倒産。その後はアルバイトや契約社員として働いてきましたが、高齢になるにつれて仕事は見つかりにくくなり、数年前に体を壊してからは、ついに働くこと自体が困難になりました。貯金も底を突き、頼れる親族もいない鈴木さんが選ばざるを得なかったのが、生活保護でした。
「申請に行くときは、情けないやら、悔しいやら……」
前述のアーラリンクの調査でも、生活保護の受給について「少し後ろめたいが仕方ない」(60.7%)、「恥ずかしいと思う」(12.1%)と、7割以上の人が後ろめたさや羞恥心を感じていることが分かっています。「当然の権利だと思う」と回答したのは21.4%にとどまりました。
こうした心理的な負担が、彼らを社会的に孤立させています。同調査では、生活保護を受給していることを「誰にも話せていない」人が26.5%にのぼり、「友人・家族」といった身近な人にさえ話せていない人が半数を超えています。さらに、「本当に困っても、助けてくれる制度や人がいない」と感じたことがある人は、実に93.5%に達しました。ほとんどの受給者が、社会からの断絶と孤独を感じているのです。
世間で「贅沢はできない」といえば、ブランド品が買えない、旅行に行けないといったレベルの話でしょう。しかし、生活保護者にとっての「贅沢」は、そのレベルではありません。十分な食事をとること、体調が悪いときに病院へ行くこと、困ったときに誰かに相談すること――そうした、人として当たり前の営みすら諦めなければならないのが、彼らの直面する「贅沢はできない」という言葉の、本当の意味なのです。
一部の不正受給等ニュースが、制度全体への偏見を助長している側面は否めません。調査でも「不正受給をしている人のせいで肩身の狭い思いをする」といった、当事者からの悲痛な声が寄せられています。しかし、多くの受給者は、鈴木さんのように、やむにやまれぬ事情を抱え、尊厳を傷つけられながらも必死に生きています。
「働きたい気持ちはあるが、体力や健康・環境に不安がある」(48.9%)、「生活のために、できるだけ安定して働きたい」(28.6%)と、全体の8割近くが働く意欲を持っているというデータが、そのことを物語っています。
「もし、働けるなら働きたいです。給与を手にして、生活を安定させたい。でも、この年と体では……」
生活保護は、すべての国民に保障された「最後のセーフティーネット」ではあるものの、それでも救われない人たちがいる――それが現実です。
[参考資料]