(※写真はイメージです/PIXTA)
「家に帰りたい」口に出せない親の想いと、子の後悔
和子さんの遺品は、そう多くありませんでした。数枚の着替えと、愛用していた湯呑。そして、戸棚の奥から出てきた一冊の古い日記帳。久美子さんは、母が日記をつけていたことなど、今の今まで知りませんでした。何気なく手に取り、パラパラとページをめくってみます。
そこには、ホームでの穏やかな日常が、丁寧な文字で綴られていました。
「今日は、皆さんと歌を歌った。少し音を外してしまい、恥ずかしかった」
「久美子が面会に来てくれました。孫の話をする時のあの子の顔は、私によく似ている」
微笑ましい記述に、久美子さんの胸は温かくなります。母は、ここで確かに幸せだったのだ。そう確信しかけた時、日記の最後のページに書かれた数行が、目に飛び込んできました。それは、亡くなる2ヵ月に書かれたもの。
「今年も家の金木犀は綺麗に咲いているでしょうか。もう一度、見てみたい」
この日で日記は終わっていました。新しいノートを買って日記を続ける気にはならなかったのでしょうか。久美子さんの手から、日記帳が滑り落ちます。
「やっぱり、家に帰りたかったんだ、お母さん」
知らなかった。というよりも、知ろうとしなかったのかもしれない。久美子さんの嗚咽が部屋に響き渡りました。「お母さん、ごめんね…」。その言葉は、もう母には届きません。
日本財団が行った調査では「あなたは、死期が迫っているとわかったときに、人生の最期をどこで迎えたいですか。」の問いに対して、「自宅」の回答が圧倒的に多く58.8%。「医療施設」が続き33.9%。一方で「人生の最期、絶対避けたい場所」として、「介護施設」は「子の家」に続き、34.4%でした。
人生の最期を迎えた居場所として選んだ理由としては、「自分らしくいられる」「住み慣れた落ち着ける場所」(自宅)、「「プロに任せられる」「家族に負担や迷惑をかけたくない」(医療施設)といった声があがっています。
本当は自宅に帰りたかった。でも――和子さんが久美子さんに本当の思いを伝えることができなかったのは、迷惑をかけたくないという優しさでした。一方、久美子さんは、日々の忙しさを理由に、母の心の奥底に眠る本当の願いと向き合うことを避けていたのかもしれません。
親が亡くなったあとに本当の気持ちを知る――解消のしようがない後悔を抱えた久美子さん。「どこか避けていましたが、人生の最期について、逃げずにきちんと向き合っていたほうがいいです、絶対に」と話してくれました。
[参考資料]
厚生労働省『人口動態調査』
日本財団『人生の最期の迎え方に関する全国調査』