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親も子どももお互いさま
奇妙に静まり返った部屋の中、僕は家族の足音に耳をそばだてる。僕は自室にいて物音を立てない。自分の気配を、自分の存在を極力気取られたくない。親の足音が階段を上がってくる。一歩、そしてまた一歩。その不吉な足音が僕の部屋のドアの前を通り過ぎる時、僕の心臓は一瞬小さく縮み上がる。心臓が鼓動をやめ、僕は思わず目を閉じる。いつか親がドアノブに手をかけて、働けない自分を悪しざまに糾弾するのではないかと恐れる。
そして、足音がドアの前を通り過ぎると、僕はゆっくりと胸をなでおろす。一日に何度もそれをくり返す。親の一挙手一投足にいつも怯えていた。だから日曜日の居間なんて、とてもじゃないけど降りてはいけない。新聞の日曜版に挟まれた求人広告を目にした父が何か言ってくるんじゃないかと、常に戦々恐々。日曜の昼間に父親のいる居間に降りていくなんて、銃弾が飛び交う戦場にわざわざ自分から出て行くようなものだ。
よって、僕は自室で一日中息を殺すことになる。トイレに行くタイミングも慎重にはかり続ける。夜中に冷蔵庫を襲撃して、冷えた食材を静かに食べる。
……という話をある親の会でさせてもらったら、ある親御さんから、「子どもの足音に耳をそばだてているのは、親も同じなんですよ」と教えてもらった。なるほどそうか。そういうのってお互いさまなのかもしれないですね。
(2015年4月執筆)
岡本 圭太