日本のバブル期に多感な学生時代を過ごした1971年~1974年生まれの“団塊ジュニア世代”。親や世間の大人たちを見ながら漠然と「自分にも楽しい未来が待っている」と考えた人も多かったはず。しかし、現実はそう上手くいきません。実家暮らしで派遣会社を転々とする50歳の富永嘉代子さん(仮名)もその1人です。ルポライター増田明利氏の著書『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)より、50代の“生の声”を紹介します。
どこで道を間違えた…28歳で“三高男”と結婚→6年後に離婚。実家住まいで派遣を転々とする年収330万円・50歳女性の悲鳴「何が悪かったのか」【ルポ】
不謹慎ですが…コロナ関連業務で一時“バブル”に
「派遣会社から自宅待機してくださいと通知が来まして。何とか食品ミニスーパーのアルバイトを見つけたけど月収はかろうじて10万円ぐらいだったからピンチでした」
ワクチン接種が始まると派遣会社から集団接種会場での案内、事務処理の仕事が入ってきたし、軽度感染者のホテル療養が本格化するとお世話係の仕事が入ってきた。
「自分が感染したら困ると思ったけど条件が破格だった」
ホテルで療養している人は、PCR検査で陽性と判定されたが無症状か軽症、入院するほどではないが家族等とは隔離しなくてはという人たちだけ。
「仕事はこの人たちの入退所対応、食事の提供、入所者からの問い合わせ対応、家族から連絡があった場合はメッセンジャー的なこともやりました。他にも書類作成、資料整理などの事務作業も担当しました」
勤務は9時~21時、21時~翌9時までの二部制。日当は日勤が1万7,800円、夜勤だと1万9,600円。派遣だと交通費は時給に含まれることがほとんどだったが実費支給。
「派遣では考えられない破格の条件でしたよ」
感染者数が高止まりすると休みは週1日の忙しさに。その代わり月収は40万円を超えることもあった。
「不謹慎ですが、わたしにはコロナバブルみたいなものでした」
新規感染者数が低下してきた22年10 月末でホテル療養の規模が縮小され派遣は終了となった。
「2年近く働いたわけですが、入所者が重症化したり亡くなったりするようなことはなかった。わたし自身も感染しないで済みましたから良かったわ」
世間全体がコロナ慣れし、社会活動上の制限も緩和されたので次の派遣もブランクなしで紹介してもらえた。
「タクシー会社でして。やはり総務的な事務処理と出納業務のアシスタントを兼務しています」
人手不足のお陰なのか時給はコロナ禍前に比べ40円上がり、初めて1,500円になった。かなり忙しいようで休みは4週6休、1か月の出勤日数は24日あるので月収は約29万円。実家暮らしなので生活に不自由はない。
「今はタクシードライバーさんが不足しているそうです。管理職の方から二種免許取得の支援をするからやってみる気はないかと打診されました。マニュアル車の免許は持っているけど年に3、4回レンタカーを運転するぐらいだから怖くて無理です」
エースドライバーと言われる人は600万円ぐらいの年収だということだが、都内の地理さえよく分かっていないのだから自分には務まりそうもない。