日本のバブル期に多感な学生時代を過ごした1971年~1974年生まれの“団塊ジュニア世代”。親や世間の大人たちを見ながら漠然と「自分にも楽しい未来が待っている」と考えた人も多かったはず。しかし、現実はそう上手くいきません。実家暮らしで派遣会社を転々とする50歳の富永嘉代子さん(仮名)もその1人です。ルポライター増田明利氏の著書『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)より、50代の“生の声”を紹介します。
どこで道を間違えた…28歳で“三高男”と結婚→6年後に離婚。実家住まいで派遣を転々とする年収330万円・50歳女性の悲鳴「何が悪かったのか」【ルポ】
仕方なく派遣へ…1~2年半で職を転々とする日々
「派遣の振り出しは信販会社。その後は教育産業、消費者金融、化学メーカー、食品会社など。1年から2年半の期間であちこち行かされました。配属されたのはどこも経理事務と事務機器操作でした。どの会社も派遣スタッフが主戦力という感じでした。部門長と次長クラスの人、担当業務の責任者は正社員だけど、その下は契約社員が数人。あとは派遣スタッフが十数人いて現場を動かしている。こういう布陣でした」
時給はずっと1,460円に固定されたまま、昇給はまったくなかった。
「月20日稼働するとして月収は23万円と少々。手取りは何とか18万円ぐらい。一般的なアルバイトよりは良いけど生活するので精一杯ですよ」
どこも正社員登用ありとなっていたけど声が掛かったことは一度もなし。派遣仲間も同様で契約社員にすらなれないのが現実だった。
派遣先業の人たちとの関係は悪くなかったが、仕事や職場の人間関係に慣れた頃に別の会社に回されることがあり、また新たに関係を構築していくのが面倒くさいと思うことがあった。
ほんとうは正社員がいい。でも…“キツい正社員”よりもオフィスワークを選んだ結果
「仕事の継続性、身分の保証、収入。どれをとっても正社員の方が良いわけだけど、年齢も40代半ば近くになっていたのでもう動かない方が得策かなと思いましたね」
派遣で働きながらたまにハローワークで情報を集めたが、積極的にここで働きたい、この仕事をやってみたいというものは少なかった。
「小さな印刷会社や食品会社の作業職、地域型スーパーの店員、介護職見習い、警備員、運転手。こういう求人は多いのだけど」
賃金は派遣とほとんど同じ水準。これならオフィスワークの方が良いと思った。新型コロナが流行し始めた20年の年初頃は飲食店チェーン本部の庶務課で事務仕事をしていたが、営業自粛や時短営業などの影響で業績が低迷。
結果、非正規の派遣はいらないと雇止めになった。