昨今、初任給が30万円超えという驚きのニュースが聞こえてくる一方、1993年から2005年ごろまでに就職活動を経験した「氷河期世代」の多くは、社会からの冷遇に苦しんでいます。ただし当然ですが、氷河期世代のなかにも“順風満帆の人生”を送っている人はいるようで……ルポライター増田明利氏の著書『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)より、50代の“生の声”を紹介します。

早稲田大学に“補欠合格”→〈就職氷河期〉直撃も内定獲得→スピード出世で部長昇格だが…「自分は小市民」と自嘲する年収750万円・52歳サラリーマン“順風満帆な人生”の理由【ルポ】
俺はついている…運に恵まれ、現在は管理職の52歳男性
氏名/船尾昌文(52歳)
出身地/兵庫県西宮市
現住所/千葉県柏市
最終学歴/95年大学卒
職業/専門商社・管理職
年収/約750万円
家族構成/妻50歳(専業主婦)、長女20歳(大学2年生)、長男17歳(高校2年生)
50歳になって思ったこと/50歳は憧れの年齢だったので少し嬉しかった
入社したのが95年だから今年で29年目。繊維商社に勤める船尾さんは人事部長との面談を終えて廊下に出ると思わずニヤついた顔になった。「俺はついている」と思い、笑いを押し殺しながら部署に戻っていった。
人事異動の時期でないお盆休み明けに呼び出されたのは上司である部長が当分の間、病気療養のため休職するので部付調査役に回る。ついては急な話だが新部長として職務に励行してくれという通達だった。
本来なら席次がひとつ上の次長が昇格するのが筋だが、この次長は10月で定年になるので副部長の船尾さんにお鉢が回ってきたというわけだ。
「自分で言うのもなんですが、これまでいくつもついている。運がいいと思うことがありました。たまたま、あるいは巡り合わせだろうと思いますが上手いこと転がっているんです」
運がいい人生、始まりは18歳…早稲田に現役合格で“ラッキー”
最初についていると思ったのは大学入試のとき。
「大学は早稲田の商学部なんですが模試の判定では合格率は50%以下、記念受験のつもりで受けたけど結果はやっと補欠合格でした。例年だと辞退者は40人前後ということだったけど、その年は100人以上の辞退が出たので滑り込みで繰り上げ合格できたわけです。一浪は覚悟していたけど現役合格できたのはラッキーだった」
大学時代はバブルの後期。入学してすぐにファミレスでアルバイトを始めたが、時給は始めたとき720円だったのが3か月後に820円、更に3か月したら890円と大幅に上昇していった。
「カラオケ店のアルバイトは時給1,000円だったし、アルバイトなのにボーナスまで出た。今は日雇い派遣がやるような仕事も直接雇用のアルバイトで日給1万円以上が当たり前だった」
就職もさほど苦労しなかった。
「就職活動を始めたのは4年生になった94年です。もうバブルは弾けて就職氷河期と言われていたけど先輩のリクルーターが何人か接触してきました」
嫌味で言うつもりはないが早稲田で良かったと思ったそうだ。
「4年生の夏休み前には何社から内々定を貰いまして。最終的に2社に絞ったのですが、最後まで迷ったのが西武デパートでした。だけど今の会社を選びまして、この決断もついていたと思う」
当時の西武デパートは一貫して店舗を拡大、多角化を推し進めてきた企業の代表的な存在だった。
「会社説明会では、増床する池袋店が三越を抜いて売上げ日本一になる。年功序列より実力主義。これからも店舗網を拡大するので同期のうち3割は部長になれる。社員の平均年齢は大手デパートのなかでは最も若い。10年後には給与でもデパート業界のナンバーワンを目指す。こんな話を聞かされました」
面接ではサイクリング自転車で来た人を面白いと採用したという逸話も聞いていたし、ゼミの教授も老舗のデパートより西武デパートの方が伸びると言っていた。
「大学生を対象にした人気企業ランキングでも1位になったし、ユニークな会社だと感心しましたね。エネルギーを感じて入っちゃおうかなって気持ちが揺れました」
ところが両親が反対。関西出身の両親は西武なんてよく知らない。関西人にとってデパートは近鉄か阪急か大丸というのが定番というわけだった。
「その頃に付き合っていたガールフレンドには、小売業だと土日祝日、年末年始も仕事でしょ。それって面白くないじゃないと言われちゃって」
現在の会社からは内定前の拘束もあり、もし断ったら次の年から君の後輩は採らないとプレッシャーも掛けられていた。こういう経緯があって西武デパートは辞退して現在の会社に入社したわけだ。
「西武デパートは数年でヨタヨタになっちゃいましたからね。かなり厳しいリストラがあったみたいだし、就職していたらえらい目に遭っていたと思う。あのときは親の意見を聞いておいて良かったと思いました」