日本のバブル期に多感な学生時代を過ごした1971年~1974年生まれの“団塊ジュニア世代”。親や世間の大人たちを見ながら漠然と「自分にも楽しい未来が待っている」と考えた人も多かったはず。しかし、現実はそう上手くいきません。実家暮らしで派遣会社を転々とする50歳の富永嘉代子さん(仮名)もその1人です。ルポライター増田明利氏の著書『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)より、50代の“生の声”を紹介します。
どこで道を間違えた…28歳で“三高男”と結婚→6年後に離婚。実家住まいで派遣を転々とする年収330万円・50歳女性の悲鳴「何が悪かったのか」【ルポ】
入院中に“密会”…夫の浮気が原因で離婚、外資系銀行の契約社員に
福岡に転居して3年が過ぎた頃に夫の浮気が発覚。
「向こうは平謝りだったけど許せなかった。わたしが交通事故で入院しているときに密会していたのだから。あちらの父親が出張ってきて、本気じゃないんだからなんて言い訳したのも腹が立ちました」
ひと悶着あったが協議離婚が成立したのは08年末。34歳になっていた。
「当時の気持ちは、これですっきりしたという感じでした。師走だったので年が明けたら心機一転して新しい生活を始めようとポジティブシンキングでした」
東京に戻って職探しを始め、2か月足らずで外資系銀行の契約社員として採用された。簿記会計2級、パソコン検定1級の資格があること。ブランクはあるが経理業務の経験があることが評価されたようだ。
「仕事は面白かったし、やり甲斐もあった」
年収は480万円ぐらいまで上がっていったが正社員にはなれなかった。
「ここには丸4年勤めたのですが、日本での事業を縮小するということで退職することになりました」
当時の幹部が言っていたのは、これからは日本より韓国、中国の時代になる。日本はオフィス費用が高すぎるなど。
「前の年に東日本大震災があって、本国から来ている人は、日本は自然災害のリスクが大きいとも言っていたそうです」
日本支店は連絡事務所に格下げ。韓国のソウル、中国の上海、大連に進出する。なので日本採用のスタッフは雇止め。こういうことにされた。
「さすがは外資。ドライだしスピードが速いと感じたものです」
無礼な言葉を浴びせられ…38歳での「就活」は困難を極めた
また就職活動をやることになったが年齢は38歳になっていたから厳しいの一言。
「転職サイト経由でエントリーしても面接すらできずにお断りメールが来たり、何の連絡もなかったりでした。ハローワークにも通ったけど同じでした」
数社は面接できたが不採用の通知ばかり。端から採用する気はないがハローワークの紹介だから、形だけ面接をやっているという感じだったという。他にも「貴方も変わってますな。そろそろ40歳でしょ、今さら就職でもないよね」「なぜ離婚したのか?」「この先もずっと独り身でいるつもりなのか?」など無礼な言葉を浴びせられて不愉快極まりなかった。
「両親が60代後半になっていたので介護や支援が必要になったときにどうするのか突っ込まれました。こういうことは想定していなかったので返答できなかった」
就職サービス会社はもっと露骨。「貴方に紹介できる仕事はありません」とやられて言葉を失った。
「失業手当はとっくに終わり。預貯金を取り崩す竹の子生活だったので繋ぎのつもりで派遣労働に入ったわけです」
直接雇用だとまったく相手にされないのに派遣なら紹介がある。