「なぜ連絡してくれなかったのか」予想外の出費と知人からの戸惑いの声

葬儀から1ヵ月ほどが経ったある日、「お父さん、遺言書を作成していたのよ」母から突然打ち明けられました。

父は、母の認知症が進み、秀一さんと遺産分割協議ができなくなることを危惧して、生前に遺言書(公正証書)を書いていたのです。父が死後の心配までしてくれていたと知り、改めて尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。

遺言書を開封すると、秀一さんは大きな衝撃を受けました。そこには「多くの人に見送られたい」という父の希望と、「お別れの言葉を読んでほしい」という10名ほどの知人のリストが記されていたのです。

すでに執り行った家族葬では、これらの方々に参列の機会さえ提供できていませんでした。さらに、父の訃報を聞いた多くの知人や元同僚・部下から連絡が入り始めました。

「なぜ連絡してくれなかったのか」「最期のお別れができなかった」という声が相次ぎ、中には明確な非難の言葉もありました。父は地域活動にも熱心で、マンションの理事長や地元神社の氏子総代を担ったこともあります。元職場の同僚たちとも親交があり、年に一度の食事会を楽しみにしていたそうです。そんな父の人脈の広さを、秀一さんは十分に理解していませんでした。

また、家族葬だからといって費用が大幅に抑えられたわけではありませんでした。確かに料理などの費用は抑えられましたが、花祭壇(生花をあしらった祭壇)には、母の強い希望で胡蝶蘭を入れてもらいましたし、棺や骨壷なども父に相応しいものをと選びました。それらの金額は合計200万円にもなり、後から送られてきた請求書を見たときにはさすがに驚きました。

さらに、後日の個別の供養や香典返し、そして、葬儀後に弔問に来られた方々へのお礼など、想定外の出費と手間が重なりました。結果的に、一般的な葬儀をオーバーする費用がかかってしまったのです。

会社の役員まで務め上げ、父の遺産は自宅以外に4,000万円あり、高額な葬儀費用はなんとかなります。残された母も遺族年金含め月20万円もらえるようですから暮らしには困らないでしょう。

そうした金額面のことよりも、「父の最期にふさわしくなかった……」深い後悔が秀一さんに残りました。