“出口のないトンネル”も無駄じゃなかった
サンディエゴで、現地の大学を借りての自主トレが続いたある日、トムさんが笑顔で「テキサスに行こう!」と言いました。それは、与田にとって遥か憧れの剛速球投手ノーラン・ライアンに会えることを意味しました。
ライアンは、ノーヒットノーラン7回、通算最多奪三振の記録を持ち、何より与田と同じく速球へのこだわりを持つ伝説の大投手。子どもたちは、大統領の名前は知らなくてもライアンは知っている、そんな方でした。その彼が日本人選手に初めて会ってくれるとあって、当初は日本からも取材陣がやって来る予定でしたが、何と直前にあのロス大地震が起こり、空港が封鎖。誰も来られなくなり、結果的に2人きりで指導を受けることになりました。
当日、誰もいない球場でライアンと与田が淡々とキャッチボールする光景はまさに映画『フィールド・オブ・ドリームス』のクライマックスのようで、ビデオを回していた私も思わず涙ぐんだほど。「僕が良くなったのは、今の君と同じ29歳からだよ」との言葉に、夫の焦りは消え、ご家族とのお食事で伺ったお話はかけがえのない宝物として、その後の現役時代はもちろん、引退後の解説者として、また、コーチや監督としての仕事を支えてくれました。
この、夢のような出会いには嬉しい続きがあります。野球解説者となった夫は10年後に、当時テキサス・レンジャーズのオーナーとなったライアンと再会。その後に彼が日本で出版した著書『ピッチャーズ・バイブル』には巻頭文を依頼されたうえ、かつてご夫妻と私どもの4人で撮った写真まで掲載していただきました。
30年前、与田がもし不調にあえいでいなかったら、ライアンとの出会いは無かったかもしれません。その後のトレードや自由契約、テスト入団も、今は与田自身の野球人生の大きな糧になっている――その時は「出口の無いトンネル」と感じたことさえ、無駄になることは無いと痛感します。
つらいことと言えば、私自身も昨年、初めて声帯に異常が生じ、声が出せない事態に見舞われた経験は、忘れられません。「結節」という症状で、声帯にしこりができて声がかすれるのです。私のように声を出す人間にとっては“職業病”とも言えるそうです。医師からは、手術を検討する前に、数ヵ月はなるべく声を使わずに自然治癒を目指してはどうか、と勧められました。
その際、まず考えたのは、今「できること」と「できないこと」を皆さんにはっきり伝えるということ。向こう半年の講演はすべて延期にする決断をしました。それから、社外役員として、毎月行われる2つの会社の取締役会をどうするかと考え、正直に現状をお話しして相談をしました。
幸い、どちらの企業もご一緒する監査役や取締役の方々が、こちらの状況をご理解下さり、「発言したいことがあれば、書いてくれたら私が読むよ」と言って下さったので、隣の方が読み上げて下さった内容が私の発言として記録されました。こういう時に快く手伝って下さった役員の方々の優しさに涙が出そうになりました。
この時はまた、最新の技術にも助けられ、それが有り難い経験になったのも大きな収穫です。
隣の方に代読していただく際、自筆での長文は読みづらいのではと思い、翌月の会議では、発言内容をその場でパソコンに打ち込み、自動音声による「読み上げ機能」を使ってみたのです。会議の直前には事務局の方のご協力を得て、部屋の隅々まで音が届くか、音量の調節もさせていただきました。果たして、実際の席上では非常に上手くいったものの、機械の音声のイントネーションに皆、「ちょっと訛ってるんじゃない?(笑)」と、和やかな空気に。
最近、英語のスピーチをする機会があったのですが、話題の生成AIも使ってみて、色々と相談をしつつ海外でのスピーチにトライしました。声帯結節のために悩んでトライしたチャレンジが、この優秀な“相棒”を仕事に取り入れる良いきっかけとなったわけです。
まさに「体験に無駄無し」――その瞬間に本当の価値はわからなくても、その場その場での泥臭いトライを重ねることで、トンネルの出口にはきっと新しい世界が待っているに違いありません。
木場弘子
フリーキャスター