「自分でつくった老後資金は自分のために使うべきだ」と主張する和田秀樹氏。昨今流行のエンディングノートや遺言、お墓準備など、遺族のためを思って行う「終活」も無意味であるといいます。和田氏の著書『老害の壁』(エクスナレッジ)より、その理由について詳しくみていきましょう。
エンディング・ノートも遺言も“無意味”?…東大卒の医師・和田秀樹が「終活はしなくていい」と言い切るワケ
老後資金は自分のために…遺族のための「終活」はしなくていい
「自分のための立派なお墓」はほとんど意味がない
老後資金は自分のためにお金を使うべきです。なかには、そのお金で自分が入る立派なお墓を建てる人もいますが、これはほとんど意味がないと思います。お墓は誰かが守ってくれないと存続できません。考えてみてください。この少子化の時代、あなたの家が100年後に残っている保証はどのくらいあるのでしょうか。
それより、お墓に1000万円使うお金があるのなら、例えば、そのお金を自分の出身学校に寄付して、ミニ図書館をつくってもらって、そこに「〇〇記念図書館」と自分の名前でも残したほうがよっぽど価値があるのではないでしょうか。
最近流行の「エンディング・ノート」も“無意味”
お墓はもちろんのこと、最近流行のエンディング・ノート(死後、家族が様々な判断や手続きを進める際に必要な情報を残すノート)というものも無意味だと思います。おそらく、エンディング・ノートに書かれていることは、それほど遺族の役には立たないのではないでしょうか。
それに自分が死んでからのことを考えるより、生きているうちに、思い出になる物とか、楽しい思い出を残すべきです。それなら、自分が死ぬまで楽しむことができます。
最近、「終活」といって、死ぬ前にいろんなことを整理することが流行っていますが、これもあまり意味のある行動とは思えません。
唯一、やっておいたほうがよい終活があるとすれば、死後家族に見られたくないもの、恥ずかしいものを処分しておくことぐらいでしょうか。中には、死後は恥ずかしくもなんともないのだから、それすらも意味がないという人もいます。
いずれにしても、遺族のために残すという発想からは自由になったほうがよいと思います。