「自分でつくった老後資金は自分のために使うべきだ」と主張する和田秀樹氏。昨今流行のエンディングノートや遺言、お墓準備など、遺族のためを思って行う「終活」も無意味であるといいます。和田氏の著書『老害の壁』(エクスナレッジ)より、その理由について詳しくみていきましょう。
エンディング・ノートも遺言も“無意味”?…東大卒の医師・和田秀樹が「終活はしなくていい」と言い切るワケ
日本の「遺言」は効力が弱い…望まぬ相手にも“平等”に相続
それでも、自分をよく世話してくれた子どもにだけにはお金を渡したいからと、遺言を残す人がいます。でも日本は遺言の効力が弱すぎて、その子どもだけにお金を渡すことができません。
イギリスなどは、この人に全財産を残すといったらその通りに相続されます。それに対して日本は、「自分の介護をしてくれた子どもに全部相続させる」という遺言書を残しても、遺留分(一定の相続人に対して、遺言によっても奪うことのできない遺産の一定割合)があるから、それはできません。それどころか、勝手に家を出て行って死ぬまで帰ってこなかった子どもにも平等に相続されてしまうのです。
筆者が「相続税100%」を主張する理由
この平等相続というやり方は、早く廃止すべきだと私は思っています。私は以前から原則として相続税100%を主張していますが、その1つの理由に、こんなケースが想定されます。
例えば、兄が地方の親の土地で農業をやっていて、弟は家を出て東京に行ってしまったとします。その場合でも、親が死んだら弟も農地を半分ずつ相続します。でも弟は地方に戻ってきて農業する気はないので、「兄貴、俺に半分の地代をくれ」とか言うわけです。
それに対して、兄がムカついて金を渡さないと、弟の相続分の半分の農地は耕作放棄地になってしまうのです。地方にはそれが理由と思われる、半分荒れている農地がいっぱいあります。
農業を継続するなら相続税0%、そうでないなら100%とすれば、弟はたぶん相続放棄するでしょう。そうすれば、兄は親から譲り受けた土地を全部使って農業を続けることができます。
あるいは、介護をしていた子どもだけ相続税を安くするということも考えられます。当然、介護していない子どもは相続税100%となります。そんなことは税法を変えるだけでできるのですから、国会で議論すべきだと思います。