冠婚葬祭も「義理欠く」でいい

夏目漱石は『吾輩は猫である』の中で、合理的な人づき合いについて「義理をかく、人情をかく、恥をかくの『三欠く』を実行すべし」と書いています。シニアにとっては、これはまさに名言といえるのでないでしょうか。

日本では冠婚葬祭が重んじられ、多くの人が成人式に出席し、20代〜30代は結婚式、40代〜50代は親世代の葬儀、60代以降になると同世代の葬儀と、それぞれの年代で慶弔(けいちょう)ごとがあります。

しかし、お祝いごとはともかく、たとえば葬儀に関しては、お世話になった相手や、その親族でもないかぎり、参列を遠慮して弔電を打つことにしても失礼にはあたらないのではないでしょうか。

遠方だったら一日がかりになるケースもあり、交通費だけでも負担になりますし、そもそも自分自身の体調がよくなかったり、持病をかかえたりしていれば、身動きがとりにくいことも考えられます。

じつは、知り合いが父親の葬儀で喪主を務めたあとに「おいでいただいた方に対しては、ありがたい気持ちでいっぱいでしたが、受け入れるほうとしても、なかなか大変でした」と話していました。

なるほど、お通夜があり、告別式がありとなると、親御さんを亡くした悲しみにくれる時間などなく、次から次へと対処しなければならないことがあり、苦労したようです。

そういえば「葬儀で慌ただしい思いをしなければならないのは、悲しみにひたる時間をつくらないようにするためかもしれない」と聞いたこともあります。

お別れの席に足を運ばなかったことが気になる人、あるいは遺族の方が気を悪くしたのではないかと不安に思う人は、丁重な手紙を送ってみてはどうでしょうか。さすがに電話やメールでは、軽々しく思えますので。

老後のつき合いは、人からどう思われるかと考えるよりも、虚礼は廃止、無理はしないと考えるのが楽だと思います。