「知っていることを思い出せない」は正常

高齢者のうつ病が見落とされやすい原因として考えられるのは、認知症と間違えられやすいことです。高齢者のうつ病で比較的目立つ症状に、「記憶障害」や「物忘れ」があります。高齢で物忘れがあると、すぐに認知症と決めつけられてしまう傾向がありますが、これは一般の人だけでなく、医者にもそういう決めつけをする人がいることは確かです。

記憶障害や物忘れには、2つの目立つパターンがあります。1つ目は、「想起障害」といって、例えば道で会った知り合いの名前が出てこないとか、テレビに出てくる人の名前が出てこないというように、一度覚えたはずのものの出力ができない状態です。言おうとしていたことが出てこなくて、「あれ」とか「それ」で代用してしまうのも、この想起障害に当たります。こういった症状が起こると、物忘れが始まったと焦る人が多いのですが、これは認知症の物忘れとはタイプの違うものです。

一般的に想起障害というのは、書き込まれた記憶に対する上書き情報が多いから起こるとされています。また、人間の脳は、普段出力していないことは、なかなか出てこないという特性もあります。ホテルマンなどがお客さんの名前を何度も口に出すのは、それによって出力をしやすくしているという事情もあるのです。

想起障害のもう一つの特色は、きちんと脳に書き込まれていることなので、その名前を聞くと「ああ、そうだった」と思い出せることです。ですから、会った人の名前が出てこなくても「山田だよ」と言われると、「そう、そう、山田さん」という風になるわけです。

例えば、何十年かぶりに長崎へ旅行したとします。昔入ったちゃんぽん屋さんの前を通ると、まだ営業していました。そうすると、「あ、この店、まだ潰れていないんだ」と、思い出すことがあります。これは、脳にちゃんぽん屋さんの画像が書き込まれていたから、見覚えがあったわけです。それまではまったく思い出したことがなくても、それは普通のことでしょう。

このように、脳には書き込まれているけれど、出力できないというのは、認知症による記憶障害とは違うものです。