やさしい香りと温かみのある雰囲気で、私たちの心身を深く癒してくれる木のお風呂。浴舎も浴槽も丸ごと木造の温泉旅館は、「維持や管理に手間がかかること、及び耐久年数の問題で今や貴重な存在」と、温泉学者であり医学博士でもある松田忠徳氏は言います。松田氏の著書『全国温泉大全: 湯めぐりをもっと楽しむ極意』より、日本が誇る木造風呂のうち、松田氏が絶賛する10の温泉旅館を紹介します。
貴重な浴舎と質の高い温泉は「感動もの」
■高湯温泉「旅館 玉子湯」(福島県福島市)
見事な庭園の一角に湯煙を上げる萱ぶきの湯小屋「玉子湯」は、明治元(1868)年の創業以来の姿をとどめています。
源泉100%かけ流し、乳白色の硫黄泉に入ると肌が玉子のように滑らかになることから、玉子湯と名づけられたといいます。萱ぶき屋根の昔ながらの木造の浴舎は非常に珍しく、質の高い温泉とともに貴重な存在です。
■法師温泉「法師温泉長寿館」(群馬県みなかみ町)
上越国境、三国峠麓の一軒宿の温泉で、早くから多くの文人墨客を魅了してきた名湯です。「長寿館」の一番の魅力は、明治28(1895)年に造られた鹿鳴館風の大浴場。杉の梁にブナやモミジなどの板が使われた純和風の湯殿ですが、木枠の窓が洋風のウインドフレームなのです。このエキゾチックな雰囲気こそが、古湯、法師温泉の意外性なのでしょうか。
田の字型の大浴槽の底に敷き詰められた玉石の間から、熟成された自然湧出のまろやかな石膏泉がぷくぷくと湧き上がってきます。泉源の上に浴槽を設えたのです。これほど適温の直湧きは希有な存在といえます。私が好きなナンバー・ワンの風呂がここ法師なのです。
■沢渡温泉「まるほん旅館」(群馬県中之条町)
草津の湯は名だたる酸性泉でしたから、近くの沢渡温泉は湯治療養で荒れた肌を柔らげ“仕上げの湯(直し湯)”として、昔からその存在はつとに知られていました。
江戸初期の元禄年間創業という「まるほん旅館」の風呂場は、沢渡の柔らかな湯を十二分に引きだそうとしてか、浴舎は惚れ惚れとするような総檜造りです。風呂場へ続く廊下や階段も木材。そうした木の宿の雰囲気は確かに“玉肌づくり”の湯の効果を一段と高めてくれそうで、憎い演出に思えます。
■たんげ温泉「美郷館」(群馬県中之条町)
平成以降に建てられた温泉旅館で、「美郷館」のように総木造の旅館というのは極めて珍しい。しかもインパクトの強い見事な造りなのです。沢渡温泉から4キロメートルほど奥の丹下川の渓畔に平成3(1991)年に開湯した一軒宿「美郷館」は、木造の白壁の外観が周囲の緑によく映えます。
ロビーには圧倒されます。樹齢300~500年という総欅造りで、磨き込まれた床などは最近ではそうはお目にかかれない感動ものです。18室の部屋もすべて木造で銘木が使用されています。
浴場「瀬音の湯」がいい。木の香りが漂うなか、窓を開けると、外の渓流のせせらぎが耳もとに届いてきます。「滝見の湯」や「月見の湯」などの露天風呂もあります。この宿は樹木が育つ環境を慈しむ経営者の心が伝わってくるような、現代では希有な宿です。このようなコンセプトの宿と出合うと、「日本もまだ捨てたものではないな」と勇気をもらいます。