旅館に併設されていない温泉を「外湯」といいます。外湯のなかには、芸術品のような造りのものがあるなど、街並みとあわせて楽しむことができます。全国の温泉地で出会える、さまざまな「外湯」の魅力を、温泉学者であり、医学博士でもある松田忠徳氏の著書『全国温泉大全: 湯めぐりをもっと楽しむ極意』(東京書籍)より、見ていきましょう。
露天風呂とは一味違う「外湯」の魅力とは?
東西の温泉場の代表である草津温泉や別府温泉などは、「外湯」のある代表的な温泉場でもあります。
外湯のことを露天風呂と勘違いしている人もいるようですが、江戸時代はもちろんのこと、戦前(太平洋戦争前)までは旅館に温泉浴場をもたないところが一般的で、宿泊客は旅館の外の風呂、すなわち外湯に出かけたものです。湯治客もそうで、現在でも山口県の有名な湯治場俵山温泉では、湯客は「町の湯」か「白猿の湯」の2軒の外湯へ入浴に行きます。
その昔、いち早く宿の中に温泉を引くことのできたところは屋号に「内湯旅館」などと冠して、旅館の「格式の差」をアピールしたものです。その名残を25年ほど前に青森県内ではよく知られた温湯(ぬるゆ)温泉で経験したことがあります。
温湯の温泉場は地元の人に「鶴の名湯」と呼ばれる「温湯温泉共同浴場」を取り巻くように、旅館や商店が立ち並んで温泉場を形成しています。ここに「内湯旅館 飯塚旅館」と看板を掲げた木造2階建てのいぶし銀の旅館に飛び込みで宿泊させてもらったのです。
「飯塚旅館」は大正2(1913)年に建てられた見事な造りで感動しましたし、内風呂も確かに備えていました。かつては他の旅館の湯客は徒歩数分の外湯「鶴の湯」へ通っており、格式の高い宿であることが「内湯旅館」という屋号でわかったものです。
400年以上続く「鶴の湯」は温湯温泉発祥の湯で知られ、「飯塚旅館」に泊まった際に「鶴の湯」にも入浴しました。噂にたがわぬ湯に魅せられて以来、黒石市界隈の温泉に来るたびに必ず立ち寄るようにしています。
ところで温泉名は「温湯」ですが、源泉温度は50度以上もある「あつ湯」なのです。雪深い青森の人たちは「よく温まる湯」なので、温湯と名付けたようです。現在の「鶴の湯」は快適な施設に建て替えられています。お薦めの共同浴場です。
話を元に戻します。外湯、つまり共同湯――、これが複数ある温泉場は湯量が豊富であることの証しですし、その多くは活気にあふれた温泉場を形成しています。
外湯から温泉場は始まった
昔、近隣から温泉(共同湯)に入ろうと人々が集まり、そうした湯客を目当てに商売をする人も現れ、市が立つ。海の幸、山の幸を持ち寄ってくるわけです。
山形県の日本海側に湯煙を上げるあつみ(温海)温泉では、数百年にも及ぶ朝市が現在でも続いています。山菜や地元の畑で採れた農産物、もちろん日本海の新鮮な魚介類も並びます。遠方からの湯客がふえてくると、今度はそこに旅館が生まれるのも自然の流れでした。
温泉場へ来るということは、病気を治癒するためです。したがって、温泉は信仰と密接な関係にあり、歴史のある温泉場には必ず有名な神社仏閣があるものです。
とくに湯治が盛んになる江戸時代以降、共同湯(外湯)の周りを、旅館、市場、土産物屋、遊技場、神社仏閣などが取り囲んで、温泉場が形成されていったわけです。草津温泉や加賀の山代温泉などはその典型的な例でしょう。
北陸の古湯、山代温泉では外湯のことを「総湯」と呼びます。この総湯を中心とした周囲の町並みを「湯の曲輪(がわ)」と称しています。現在の山代には湯町の中心に往時を復元して建て直された「総湯」と「古総湯」の2軒の外湯があります。いずれも外湯の芸術品のような立派な造りですので、ぜひ足を運んでみてください。
このように、温泉場、温泉街の原点は、湯元から湯を引いた外湯、共同湯だったのです。外湯のある風景こそ、私たち日本人の「温泉の原風景」だったということです。