会社勤めをしなかった独居老人
現在68歳の山谷(仮名)さんは20代のころ、実家の家業を手伝っていました。家業は自営業の小さなお店でした。周りからは、跡継ぎと思われていましたが、山谷さん自身は家業を継ぐ気はなかったようです。
家業を真剣に継いでほしいという父親とは、30歳を過ぎたころから関係が少しずつ悪化していき、実家にいるのも肩身が狭い思いをしていました。
そのあいだに、数名の女性と交際をしたこともあったようですが、いずれの方も長続きはしませんでした。山谷さんは、おっとりとした楽観主義の優柔不断な性格で、どの女性からも「将来のことをちゃんと考えているの?」と振られ続けたそうです。
34歳となったころには、父親との関係がさらに悪化。ついに家業を辞めてしまいました。
山谷さんは、実家を出てアパートでひとり暮らしを始め、知り合いが営む店の手伝いをしながら生計を立てます。こちらも家族経営の小さな店だったため、雇用形態もあいまいで、社会保険には加入せず、自分で国民年金は滞納なく支払っていました。
将来を考えない働き方が身に迫る
34歳から知り合いの店で働き、気付けば60歳を過ぎていました。結婚願望がなかった訳ではありませんが、いい縁には恵まれず、独り身のままでした。ギャンブルなどはしないものの、独り身だったこともあり、入ってきたお金は、ほとんど使ってしまって、貯蓄はできていません。
55歳のころには、父親が他界し、実家に帰ることも考えたようですが、家業の仕事もほぼなく、母親からも帰ってくるのはいいけれど、家業を継がないほうがいいといわれます。結局、実家に帰ることもなく、母親は実家で、山谷さんはアパートでそれぞれひとり暮らしとなりました。
65歳からは、年金を受け取りながら手伝いをしていました。年金額は月額にすると6万円程度でした。手伝いもこのころから減ってきて週に3日程度の勤務となり、月に10万円程度を受け取っていました。
68歳になったある日、手伝いをしていた知り合いの店も、時代の流れに付いていけなかったことから、閉店しました。ずっとアルバイトのような扱いで働いていたため、社会保険には加入していませんでしたが、雇用保険だけは加入していたそうです。
10万円の収入減で生活保護申請へ
山谷さんは、10万円の収入がなくなったことで、「月6万円じゃとても生きていけない……。もう限界だ」と、市役所の窓口に相談に行くことにしました。しかし、市役所では福祉事務所に行くように勧められます。福祉事務所は生活保護の申請を行うことができるということでした。
早速、福祉事務所に出向き、生活保護の申請を行い、結果を待ちましたが、結局生活保護の認定は受けられませんでした。
まずは68歳でも働けるようであれば、働くことを告げられたのです。また雇用保険にも加入していたことで、ハローワークに行って求職活動を行うことと、失業保険を申請することが優先ということでした。