台地と臨海部の両方を併せ持つ品川区。今回はそんな品川区の住みやすさに関するデータを大公開します。人口密度や治安の良さ、独自の子育て対策など詳しく見ていきましょう。
品川駅は「港区」にあるが…「東京都品川区」住みやすさをガチ評価【データで紐解く東京⑧】 (※写真はイメージです/PIXTA)

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品川区の住みやすい街5選

品川区の中でも特に住みやすい街を厳選して5か所紹介していきます。再開発の真っただ中にある最新の街から、伝統の残るどこか懐かしい街まで幅広くご用意したので、好みに合った街がきっと見つかるはずです。ぜひ参考ご覧ください。

 

【小山】駅前の再開発で再注目!人気商店街もある住みよい街

 

武蔵小山駅と西小山駅を中心に、洗足駅や不動前駅近くまで広がるエリア。近隣には、広大な自然を誇る林試の森公園があります。

 

小山・荏原両アドレスに広がる「武蔵小山商店街パルム」は、全長800mの開閉式アーケードが連なる人気商店街として有名。また、武蔵小山駅の駅ビル「エトモ」には、ベーカリーやデリ、深夜1時まで営業のスーパーもあり、生活利便性は抜群です。駅前では再開発プロジェクトも進行し、駅前広場を囲むように40以上の店舗で構成されるションピングモール、41階建てのタワーマンションが作られました。

 

【地名の由来】

八幡神社付近が小高い山のような形であることから。

 

【西五反田】買い物の楽しみ広がる商業施設を備えた住宅街

 

 

桜の名所として有名な目黒川を挟む区内北西で、東急目黒線不動前駅を最寄り駅とするエリア。五反田文化センターには、図書館や音楽ホールの外の全天デジタルシステムのプラネタリウムもあります。都内最大級の複合商業施設・五反田TOCビルではバーゲンセールや展示即売会など多彩なイベントを開催。緑豊かな屋上庭園も人気スポットの一つです。2丁目の一部に歓楽街があるものの、基本的にオフィスビルが多いエリアと言えるでしょう。

 

【地名の由来】

「五反田」という地名は田の広さに由来し、全国各地にあります。一丁田、二丁三反田など。

 

【北品川】大規模マンションの登場でさらに活況を呈する街

 
 

2000年の都営大江戸線の開通に伴い開業した清澄白河駅周辺のこの地域。2003年には延伸で半蔵門線が利用可能になり、大手町駅まで約8分でアクセス可能に。両路線とも始発電車が利用できるため、通勤にも便利でしょう。街の半分近くには、回遊式日本庭園の清澄庭園や清澄公園が広がります。公園の間には、レトロな雰囲気が魅力の深川図書館があり、地元民はもとより、多くの人が蔵書を求めて訪れます。東京都現代美術館やギャラリーも周辺に点在しており、街全体を通してがアートな雰囲気を漂わせる地域です。

 

【地名の由来】

「品川」という地名は、目黒川の河口を中心に発達した集落につけられた名前で、元暦元年(1184年)の田代文書に初めて登場します。地名の由来については、目黒川の古名説、風光明眉な品良き土地であるので高輪に対して品ヶ輪と名づけた説、鎧に用いる品革を染出した所からという説、領主の品川氏から起こった説などがあります。【出典】「第Ⅰ章品川区の景観特性と課題」(品川区公式サイト)

 

【大井】抜群のアクセス性を誇る急成長の街

 

 

街の北側にある大井町駅は、品川駅・東京駅へ京浜東北線で1本、渋谷駅・新宿駅へも直通ラインがあるなど、ターミナル駅へのアクセスが抜群。駅前はイトーヨーカドー、西友、阪急大井町ガーデン、アトレ大井町などの商業施設が充実しています。さらに、JR東日本による「大井町駅周辺広町地区開発」が計画中。街並みが大きく変わることが予想されるでしょう。大井町駅徒歩5分の場所にある複合スポーツ施設「スポル品川大井町」では、サーフィン、ボルダリング、アーチェリーなどが楽しめます。

 

【地名の由来】

所説あり。1.村内光福寺にある、大きな井戸にちなんだ説2.「藺(い)<畳表にするイグサ>」がたくさん自生していたので大井(藺)とした説。

 

【二葉】緑豊かな落ち着いた住宅街

 

 

東急大井町線・下神明駅から横須賀線・湘南新宿ラインの停車駅・西大井駅の間に広がるこの地域。徒歩圏内には大井町駅もあり、交通の便は抜群です。「下神明天祖神社」や「しながわ中央公園」、「戸越公園」といった自然豊かなスポットが点在する閑静な住宅街です。公立の小中一貫校や私立の進学校など、教育機関も多くあり、穏やかで治安のよい街並みが広がります。

 

【地名の由来】

昭和初期まで、この地域は荏原町の大字である上蛇窪、下蛇窪と称していましたが、昭和七年(1932年)に荏原区の一部として東京市に編入されるにあたり、上神明町・下神明町と改称。その後、東京市より町名整理を指導され、上神明・下神明をそれぞれ南北に分けて、北同士を統合して「豊町」、南同士を統合して「双葉町」と称するよう東京市より提案されました。結果、昭和十六年(1941年)に区は、「双葉」を「二葉」にすることで採用し、新町名が誕生しました。

 

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