東京の副都心のひとつ「池袋」を有する豊島区。一時は「消滅可能性都市」として話題になりましたが、いまや、東京でも有数の子育てのしやすい街として若い世代から支持を集めています。豊島区の現況と住みやすさをデータとともにみていきましょう。
消滅可能都市と騒がれたが…子育てしやすい「東京都豊島区」を5つ星評価【データで紐解く東京②】 (※写真はイメージです/PIXTA)

東京の暮らしを豊かにする情報満載のWEBメディア「TOKYO@14区」
ほかの記事も読む(外部サイトに遷移します)>>>

豊島区の住みやすい街5選

豊島区の中でも住みやすい街を厳選して5か所紹介していきます。繁華街へのアクセスも抜群でありながら、住宅環境としても整ったエリアなので、住むのにぴったりな街がきっと見つかるはずです。

 

【目白】閑静な文教の街に広がる緑豊かな住環境

 

 

山手線沿線では稀有な第一種低層住居専用地域が広がり、閑静な住環境が守られたエリア。三丁目界隈は、かつて尾張徳川家の屋敷があった場所としても知られています。また、学習院大学をはじめ、多くの学校が位置しており、文教の街とも言えるでしょう。駅前には、カフェやレストランなどが入ったショッピングモール「トラッド目白」もあり、ターミナル駅「池袋」界隈も徒歩圏と買い物にも便利な地域です。

 

【地名の由来】

所説あり。1.ここで白い名馬を産したから。2.三代将軍家光が目黒に対して、目白と呼べと命じたため。3.目白不動があるから。4.江戸幕府の時、慈眼大師が白い目の不動をつくったから。5.小山に多くの目白(鳥)がいるから(他県に多い)。など。

 

 

【駒込】活気ある商店街が魅力の江戸の面影残る街

 

 

かつては染井村と呼ばれ、ソメイヨシノ発祥の地といわれるこの地域。江戸時代には植木職人が集まって沿道一帯に苗樹園が続いており、今も当時の面影を見ることができます。住宅地としては、一戸建てと中低層のマンションが点在する街並みです。駅周辺には染井銀座、西ヶ原銀座など昔ながらの活気ある商店街が多く集まっています。

 

【地名の由来】

所説あり。1.日本武尊が東征の折に見方の軍勢を見て、「駒込みたり」と言ったから。2.原野に駒(馬)が群がっていたから。3.古代に渡来人・高麗人が大勢住んでいたから。など。

 

【池袋】再開発でさらに進化するターミナル駅徒歩圏

 

 

百貨店、家電量販店など多様な商業施設が集中する池袋駅から徒歩数分~10数分の池袋3~4丁目、南池袋2~3丁目には、緑の多い閑静な住宅地が点在。東池袋エリアでは、防災拠点形成などの実現を目指したまちづくりが進行しており、2020年には防災公園「としまみどりの防災公園(愛称はイケ・サンパーク)」が誕生しました。子ども向け広場「としまキッズパーク」も隣接しており、ファミリー層を中心に親しまれています。

 

【地名の由来】

多くの池があり、その池が袋状に曲がっていたことから。

 

【南長崎】芸術の香り漂う穏やかな住宅街

 

 

西武池袋線の東長崎駅、椎名町駅、都営大江戸線の落合南長崎駅を有するこの地域は、昭和初期に多くの芸術家が集まり「池袋モンパルナス」と呼ばれたエリア。かつて、手塚治虫や石ノ森章太郎らマンガ家たちが暮らしたトキワ荘があり、2020年にはその跡地に「トキワ荘マンガミュージアム」が建てられました。落合南長崎駅前に複合型ショッピングセンター「アイテラス落合南長崎」がある他にお店は少なく、治安のよい住宅街が広がります。

 

【地名の由来】

「長崎」という地名の由来は所説あり、鎌倉時代に執権北条氏の家臣である長崎氏の領地であったためという説と、全国の長崎という地名を調べると、「水辺にある岬状の土地」という共通点が見られ、豊島区の長崎も谷端川(やばたがわ)に三方を囲まれた岬状の土地であるところからつけられたという説があります。なお、現行の南長崎は、長崎地区のなかでも南側に位置していたことから、住居表示実施の際に付けられた町名です。【出典:豊島区立郷土資料館「かたりべNo.69」】

 

【高田】神田川沿いに広がるどこか懐かしい坂の街

 

 

区南部に位置し、文京区、新宿区との境界にあたるこの地域。南北に都電荒川線が通っており、池袋エリアから荒川区の方面まで1本でアクセス可能です。神田川沿いの低地と関口台地の境目となるため坂が多く、中でものぞき坂は都内でも有数の急坂として知られています。昔ながらの住宅街が広がり、歴史の情緒を感じられるどこか懐かしい街並みです。24時間営業のスーパーや飲食店も充実しているので便利でしょう。

 

【地名の由来】

鎌倉・室町時代に平川(神田川)の流域にあたる現豊島区高田地区、新宿高田・早稲田・落合地区、中野区上高田地区などの一帯を指したと考えられる地名です。このあたりの高台地を高畑と呼んでいたのが高田に転じたと言われ、「高台地にある田」という意味であろうとする地形説と、越前高田藩の御用屋敷が馬場下のあたりにあり、馬場が御遊覧所となったので高田村となったという説があります。なお、現在の豊島区高田地区は、江戸時代には豊島郡下高田村の一部に該当していました。【出典:豊島区立郷土資料館「かたりべNo.69」】

 

【住建ハウジング】
業界No1の動画数と写真で「東京の一戸建て・土地・投資物件」をご紹介

(外部サイトに遷移します)
>>>