転職を繰り返し、国民年金保険料は未納付…
73歳の水谷さん(仮名)は、高校を卒業して18歳から働き始めましたが、仕事を転々とする人生でした。転職先がすぐに見つからず、アルバイトを行う時期もありました。2002年に最後に正社員として勤めていた会社を退社したあとは、60歳まで清掃のアルバイトを行っていました。
昭和25年生まれの水谷さんは、厚生年金のうち報酬比例部分が受け取れるようになったので、生活が多少楽になりました。65歳になると基礎年金部分も受け取れるようになりましたが、清掃の仕事は体力的に厳しいと感じ始めます。収入は少々減りますが、老齢年金が増えたので、清掃の仕事はやめて新聞配達のアルバイトを始めました。
54歳になるまで会社を転々としていた水谷さんの勤め期間はトータルで27年です。その当時の老齢基礎年金受取の要件は満たしていたのが救いでした。転職を繰り返し、収入が不安定だったこともあり、年金受取額のもととなる標準報酬月額は25万円となりました。
水谷さんは、以前から「年金なんてどうせ大してもらえない」、「年金制度は破綻する」と、年金に対して否定的な考えを持っていました。そのため、会社員として勤めていたときには、給与天引きのため年金を支払っていましたが、アルバイトなどをしていたときは国民年金保険料を支払っていませんでした。
年金不信の要因となった「過去の公的年金流用問題」
最近では公的年金の不正利用の話を耳にすることはなくなったと思います。
日本がバブル期には、公的年金の運用も順調で、勤労者や青少年の健康増進と、余暇の有効利用を目的とした年金保養施設が全国に設置されました。本来、年金積立は老齢年金などの原資のために運用されるものです。高齢となり老齢年金を受給するまで保険料を納付している被保険者等に対しても福祉の向上を図る、という目的の事業(「年金福祉還元事業」といいます)のなかで、「年金積立金を被保険者に還元すべき」と、全国13ヵ所に年金保養施設が設置されました。
しかし、この年金保養施設の運営は思わしくないばかりではなく、厚生労働省や社会保険庁の職員の天下り先となっていたことなどの問題が浮上しました。さらに、年金記録台帳をそれまでの紙媒体での保管から電子的記録に移行する際に、年金の記録が無くなったという事例も発生し、公的年金を不信に思う人も多くなったようです。
平成18年からは年金の管理・運用は年金積立管理運用独立行政法人が管理するようになり、積立金の不正流用もなくなりました。しかし、前述した「消えた年金問題」が平成19年に起きて、平成23年まで納付率は減少していきましたが、その後は納付率も改善し、令和4年度の現年度納付率は76.1%となっています。