「孤独死」という社会問題。勤めながら結婚をし、子供を育てた「普通の人」たちの身にも起こっている実態があります。高齢化が進む都営・桐ヶ丘団地でも、例にもれず複数件の孤独死が発生しました。同団地住民を長く取材してきた、文化人類学博士の朴承賢氏が、孤独死と団地住人について解説します。※本連載は、書籍『老いゆく団地』(森話社)より一部を抜粋・再編集したものです。
60代男性が圧倒的に多い…“普通の人”でも「孤独死」に至る日本の悲惨 (※写真はイメージです/PIXTA)

高齢住民「お風呂の時にペンダントを置いておく」

ある高齢の住民は、「お風呂の時に手の届くところに緊急呼び出しをするペンダントを置いておく」と話した。孤独死は平凡でない「異常な死」でありながら、同時に普通の人がその可能性を恐れている「平凡な死」でもあるのだ。

 

そして、孤独死は私的空間における自分の生のありようが、自己統制のできない状態でそのまま見苦しく露出される、恥ずかしい死である。異臭によって発見される孤独死は、どうしようもなく他人に迷惑をかける、最も望まれない死の姿であるのだ。

 

人びとは自身の死後を想像する中でも、他人の存在を意識する。人の生が他人の存在を必要とするように、死とその後を想像する際にも、人は他人との関係の中に置かれているのだ。孤独死をめぐるアンビバレンスによって、孤独死は生を映す鏡となる。

 

 

参考文献

結城康博 2014 『孤独死のリアル』 講談社 

額田勲 1999 『孤独死 被災地神戸で考える人間の復興』 岩波書店

大山眞人 ​2008 『団地が死んでいく』 平凡社

 


朴承賢

啓明大学 国際地域学部 日本学専攻 助教授