「孤独死」という社会問題。勤めながら結婚をし、子供を育てた「普通の人」たちの身にも起こっている実態があります。高齢化が進む都営・桐ヶ丘団地でも、例にもれず複数件の孤独死が発生しました。同団地住民を長く取材してきた、文化人類学博士の朴承賢氏が、孤独死と団地住人について解説します。※本連載は、書籍『老いゆく団地』(森話社)より一部を抜粋・再編集したものです。
60代男性が圧倒的に多い…“普通の人”でも「孤独死」に至る日本の悲惨 (※写真はイメージです/PIXTA)

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「仮設住宅」「常盤平団地」孤独死で露呈する社会構造

「孤独死」という言葉が使われるようになったのは、必ずしも最近のことではない。

 

1970年代に新聞紙上にたびたび登場するようになり、1973年には全国社会福祉協議会が「孤独死ゼロ運動」を繰り広げている。しかし、70年代後半からはマスメディアの報道を見る限り、社会的関心は薄れたとされている[結城 2014:53-54]。

 

この言葉が再びクローズアップされたのは、阪神・淡路大震災後の仮設住宅で独居高齢者の死亡が相次ぎ、それを問題視する議論が一つのきっかけとなった。

 

1997年5月2日、当時、兵庫県の仮設住宅3万4600戸で約6万2000人の被災者が居住しており、このうち150件の孤独死が発生した。60代の男性の死亡の割合が圧倒的に多いのも特徴であった[神戸新聞 1997・5・2]。

 

そこで、行政や地域市民社会の支援を強化した「地域型仮設住宅」が拡大された。仮設住宅における孤独死の問題は、日本社会の経済的「豊かさ」の中で、社会的な弱者が構造的に発生し、そして構造的に排除されている現実を暴露した。

 

額田勲[1999]は、被災地の仮設住宅で相次いでいた孤独死の問題に取り組み、社会構造そのものが多くの孤立者を生み出している以上、孤独死という現象は「独居死」というべきだと述べる。

 

社会のシステムや国の政策が、弱者を取り残す仕組みへと急激に変化している状況から、孤独死に関する自己責任論がいかに誤ったものかを批判するのだ。

 

2000年代以降、経済不況による雇用不安、それによる貧困と家族崩壊、そして孤立という悪循環の中で、再び「孤独死」は社会問題として浮上してきた。

 

それは、1960年に全国の公団住宅の先駆けとして誕生した松戸市の常盤平団地での孤独死の実情に取材した、NHKスペシャル『ひとり団地の一室で』が放送された2005年9月以降のことといってよい。

 

常盤平団地(総世帯5300戸)では、3年間に21件の孤独死が発生し、2004年には「孤独死予防センター」が開設されたのだ。それは、全国的に大きな反響を巻き起こし、各自治体で見守り制度などの孤独死対策が始まっていく[NHKスペシャル取材班・佐々木 2007]。