都営住宅、「桐ヶ丘団地」。建替えに対し否定的な住民と、都の対応から、日本社会の「自己責任」の意識が浮き彫りになります。ここでは住民へのインタビューとともに、その実態を、文化人類学博士の朴承賢氏が解説していきます。※本連載は、書籍『老いゆく団地』(森話社)より一部を抜粋・再編集したものです。
税金でお世話に…「運よく都営団地に当たった」高齢者と建替えの悲惨 (ふれあい館の活動。午後の将棋会 撮影年月:2010年6月 撮影者:朴承賢)

「どうせやるなら早く」肯定的な声もあれど…

しかし、建替え第1期のE地区のある住民は、亡き夫が自治会役員として都庁を訪問して建替えを要求したり、広報活動をしたり、建替えを実現させるために頑張ったと語った。

 

当時の住民たちは建替えを歓迎し、大変喜ぶ雰囲気であったという。それは、現在の建替え予定地区の住民たちの反応とはかなり対照的である。

 

一方、移転を終えた人びとへのインタビューからは、「新しくなっていい」という反応も多かった。彼(女)らは、建替え前の家は老朽化が深刻だったため、引っ越しは大変だったが、綺麗になって満足していると言った。トイレや水回りが便利になっていいとも語った。階段の上り下りが大変な住民は、エレベーター付きの新築へ引っ越したりもしている。

 

2011年8月、ふれあい館で将棋をさしていたある男性住民は、5ヵ月前に東から西地区に引っ越したと述べながら、「生活環境に慣れていない人が病気が重くなったりしたとも聞いたけど、私は家内と2人だから不満はない。高齢だからそれでいいという感じだ」と反応した。「どうせ建替えをするなら、自分が1年でも若いうちに建替えてほしい」という声も聞こえた。

 

インタビューを重ねるほど、住民の立場を一括して「建替え反対」ではとらえられないことが明確になっていった。個人の健康状態、家族関係、経済的な状況、近隣関係によって、住民たちはそれぞれ異なる立場に立たされていた。特に、足が不自由な高齢の住民は、エレベーターが使えるようになったことで外出が便利となったと語っていた。

 

では、そのようなメリットがあるにもかかわらず、建替え予定地区の住民たちから建替えに対する期待感が感じられないのはなぜだろうか。

 

建替え予定の地区では「どうせやるんだったら、1年でも早いうちにしてほしい」という反応が最も肯定的な答えで、「建替えを待っている」という話は聞いたことがない。増築ですでに家が広くなったり、改善事業で窓枠などの古い部分が改修されたりしたため、現在住んでいる家に満足していることが大きな理由であるかもしれない。特に1DKへ移転しなければならない住民は、引っ越しを望んでいなかった。

 

しかし、建替え予定地区の住民たちから感じられる無関心や不満は、それだけでは十分に説明しきれないものでもあった。団地内には、長年ここに住んで建替えの当事者であるにもかかわらず、建替えの過程から完全に排除されていることに対する疎外感が広がっているように感じられた。