都営住宅、「桐ヶ丘団地」。建替えに対し否定的な住民と、都の対応から、日本社会の「自己責任」の意識が浮き彫りになります。ここでは住民へのインタビューとともに、その実態を、文化人類学博士の朴承賢氏が解説していきます。※本連載は、書籍『老いゆく団地』(森話社)より一部を抜粋・再編集したものです。
税金でお世話に…「運よく都営団地に当たった」高齢者と建替えの悲惨 (ふれあい館の活動。午後の将棋会 撮影年月:2010年6月 撮影者:朴承賢)

都の職員の態度は「払えるならば民間に行きなさい」

2012年11月のK自治会の住民たちへのインタビューで、ある住民は移転説明会での一方的な説明に怒りを示した。

 

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住民の話を聞かない。皆の税金でやることだから文句言うなという態度。あなたたち(住民たち)が選んだ大家さんは石原知事だって。(家賃を)払えるならば民間に行きなさいという態度。もう壊しますから越してくださいと。来年の1月の2週間に引っ越しする。年寄りばかりなのに寒いから無理だと言っても、これは決まっていると。行かされるんですよ。腹が立ってもしょうがない。税金でやることだから。(2010年7月、自治会役員たちへのインタビュー)

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彼女は、「気持ちの切り替え」もできずに引っ越しをしたが、その後の撤去工事もあまり進まなくてまた怒ったとも話した。

 

住民たちは、「都が住民の話を全然聞かない」と批判した。地域の問題に誰より詳しい自治会の会長も、地域振興室の近くの4つの棟が撤去された空き地を眺めながら、「撤去しただけで、かなり時間が経っているが、何になるかがわからない」と語った。

 

確かに団地は、地震対策や老朽化のため、建替えなければならない時期になった。人口減少の時代だから、既存の住宅を改善したり、建替えたりするという東京都の方針は合理的でもある。

 

また、「税金で建てるので贅沢な家は作れない」という基本的方針の中でも、公営住宅の条件は、民間借家の住居条件より優れている。公営住宅に住み続けるのが安定した生活を維持するための最善の方法であることは、住民たち自らが誰よりもわかっている。

 

そこで、建替えの過程においても、住民たちは「住宅に困るから」「税金でお世話になっているから」「仕方ない」と言わざるをえない立場に置かれている。これは、「運よく」都営住宅に当たり、定着している以上、当然のこととして甘受すべきものとなっているのだ。「基本的に税金でやるから、住んでいる人の考えではなく、つくる人の考えだ」という認識は居住者と建設者側に共通する基本的な立場のようであった。

 

「税金で建てるため、贅沢な家よりも戸数を増やすべきだ」という公営住宅政策の初期からの政府・行政の立場は、戦後の70年間、大きく変わっていないようにも見える。

 

しかし、この70年間、桐ヶ丘団地は住民たちの日常的な生活の場所であった。だからこそ、住民たちが建替えの過程で感じる「疎外感」は深いものだといわざるをえない。

 

現在の住民の消極的な対応は、「家賃値上げ反対」の運動をした昔の住民たちとはかなり対照的なものである。「家賃値上げ反対」の時代より福祉制度は成熟しているにもかかわらず、「自立」をめぐる「自己責任」の意識はさらに強まっているともいえるだろう。

 

建替えに関するインタビューでは「建替えが終わる頃には私はもう死んでこの世にはいない」という冗談まじりの話を何度も聞いた。それは、自分の老衰と住居の建替えという避けられない出来事を同時に経験する住民たちが感じる、複雑な感情が込められた言葉であるように思われた。

 

 

朴承賢

啓明大学国際地域学部日本学専攻助教授