都営住宅、「桐ヶ丘団地」。建替えにより高齢の住民たちは「住みにくさ」を感じており、建設事務所側の意図した「便利さ」は残念ながら伝わっていないようです。住民へのインタビューとともに、その実態を、文化人類学博士の朴承賢氏が解説します。※本連載は、書籍『老いゆく団地』(森話社)より一部を抜粋・再編集したものです。
都営団地「1DKはひどい」建替えを嘆く住民…設計担当者とのすれ違い (撮影年月:2013年11月 撮影者:朴承賢)

都営住宅は「普通の建物」でなければならないのか?

また、[写真2]から、古い建物は玄関のそばに大きな台所の窓があり、従来のフロアの様子が開放性の面では優位であることがわかる。

 

窓が狭くなって、開放感がないということに対して、建設事務所の関係者は、「あまり外から見えない方がいい」「人が通るのが窓から感じられるのがいやだ」という意見もあるし、戸数のためにやむをえないことでもあると述べた。

 

「昔の住戸タイプのような引戸の窓は幅が必要で、面積的に非効率的な間取りになる。細長い家を入れるのが建物としては最も効率的」とのことであった。担当者は、「間取りはむしろ広くなっているが、にもかかわらず、狭くなったように感じられるのは、細長くなっている構造的変化のせいで開放性がなくなったのではないだろうか」と話した。

 

閉じた1DKは、日常的に自立を相互に支持し、支援するための空間的な可能性を遮断してしまうという点で、「地域中心」「自立中心」の高齢者福祉のスローガンとは逆の方向を向いているように見える。公共の住まいが人口減少、超高齢化、家族解体が進んでいる今日の社会に似合わない器として作られているのだ。

 

山本理顕[2015:146]は、入札で行われる都市整備局の都営住宅設計者の選定方法を批判する。設計費に関して1万円の基本設計費で426戸の都営団地の建設が行われたり、さらには設計費「1円入札」があるほど、「設計費が安ければよい」との長年の習慣があって、設計者のユニークな発想や技術が発揮される余地がないことへの批判である。

 

それは、都営住宅は標準設計に基づいた定型的な建築物であるとする官僚主義的な供給方式への批判であり、都市整備局の特権的な方法によって公共の住まいが決められることへの批判である。かつての住宅不足の時代と同様な官僚的「標準」が、「建てること」と「住まうこと」の分離を深化するのだ。

 

 

参考文献

山本理顕 2015 『権力の空間/空間の権力――個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』 講談社

 

 

朴承賢

啓明大学国際地域学部日本学専攻助教授