やたら小さな虫が多い…ツンドラの蚊を思い出す
インフォメーションセンターを出、宿への道を歩きながら、顔や頭にまつわりつく虫を追い払っていた。インフォメーションセンターに行くときから気になっていた。やたら小さな虫が多いのだ。ときに耳のなかに入ってくる。響く羽音に、急いでとり払う。夜の7時。夕暮れにはまだ少し間がある時間帯は、蚊に刺されることが多い。
蚊――。
30年前のかゆさが蘇ってくる。アジアに出向くことが多いから、蚊には悩まされてきた。最近のアジアは都市化が進み、東京にいるときのほうが蚊に多く刺されたりするが、夜、プーンと鳴る羽音には、つい神経質になってしまう。しかしツンドラの蚊は、そういうレベルを超えていた。短い夏の間に、一気に繁殖するツンドラの蚊はただ者ではなかった。
ドーソン・シティを飛び交う虫は蚊ではなかった。小バエの類いだろうか。刺されないことに安堵はしていたが、この夥しい数の攻撃スタイルは、ツンドラの蚊と同じだった。
以前、訪ねたのは6月だった。いまは9月である。ドーソン・シティの宿に中国人ツアー客が泊まっていた。添乗していた中国人のツアーガイドと英語で交わした会話を思い出した。彼らはオーロラを見ることが目的だった。
「9月がベストシーズンです」
それはツンドラの蚊が姿を消すことを意味するのだろうか。ザックのなかには、持参した蚊とり線香が入っていた。明日は、そのツンドラ地帯に突入することになる。夜中の一時に、トイレに行った。泊まった宿のトイレは外にあった。ふと見あげると満月だった。9月がベスト……。ぼんやりとその月を見つめていた。
下川 裕治
旅行作家