「弱点」があるのは「強み」がある証拠
算数が突出しているからといって、全教科が完璧なわけではありません。保護者からの相談で必ず筆者が耳にするのは「弱点」という言葉です。
なかには子どもが解いた問題集の目次に印をつけたり、わが子がミスをした回数を「正」の字で書き込んだりして、「うちの子はこれが弱い。こことここが弱い」と持参される人もいます。
そこには「塾に通わせているのに弱点が克服できない」というご両親の本音も見え隠れします。ご両親は真剣ですから、筆者もしばらくそのお話を聞き、「そうですね。ではこういう形で勉強をしてみてください」とお答えします。
ですが、弱点というのは本人が「強み」をつくったからこそ生まれるのです。
そもそも子どもが自ら「塾に行きたい」と言いだすケースは稀です。多くはご両親が「おいしいものでも食べようか?」と誘い、浜学園の入塾テストに連れてこられる。テストに挑戦してみたら子ども自身も感触がよかったので「行ってみるわ」と入塾の運びになるわけです。
でも、その「行ってみるわ」の時点では、塾に毎回テストがあり、細かく成績をつけられるなんて子どもたちは想像もしていなかったでしょう。
塾に行って、遊びもセーブして一生懸命勉強し、入塾する前にはできなかったような問題もたくさん解けるようになった。ところが「できることが増えた」ために、「できない部分」が目立ってくる。ご両親が弱点と呼んでいるのは、その部分です。
子どもにしてみたら、自分が一生懸命勉強したことが弱点を生みだしているということに至って、どうしたらいいのかわからない。さらに親からそこを突かれている状態…。
もしも、お母さん、お父さん自身がその立場ならどうでしょう?
「やりきれない。」筆者ならそう思います。
わが子を心配する気持ち、弱点を克服させたいという思いはわかります。おそらくご両親のなかにも自分自身が学生時代に「数学で苦しんだ」「英語でつまずいた」などいろいろな記憶があり、いま目の前でつまずいているわが子によかれと思って物言いをつけたくなるのでしょう。
しかし、塾というのは学校と違って、今の学力をいろんな方向に何段階も伸ばしていく場です。ひとつの学力を伸ばしたら、その時点で伸びていない学力は相対的に低く見えてしまいます。
「塾へ行って勉強する=弱点が生まれて当たり前」なのです。