新卒採用後1ヵ月で退職!高給に惹かれ不動産業界へ…
厳選した立地にマンション並みの設備を内包した一棟アパートを建設し、99.8%という高い入居率を実現するアイケンジャパン。業界内でも屈指の実績を持つ企業として注目が集まっています。
同社の代表である中島氏は、どのような経験を積みビジネスモデルを構築してきたのでしょうか。お話を伺いました。
中島「私は九州の大分県出身で、地元の高校を卒業した後、コンピューター系の専門学校に入学しました。当時は不動産にまったく興味がなくて、『ふ』の字も知らなかったほどですよ!
就職活動もIT企業を中心に回って、東京の恵比寿に本社がある企業に採用されたんです。結構期待されていて、新入社員代表の挨拶や寮長まで務めました。でも5月には辞めて、九州へ戻ってしまいました(笑)」
驚異のスピード退社の理由は、本インタビュー内で徐々に明らかになっていきますが、中島氏と不動産業界の関係はここから始まっています。
中島「無職の状態で地元に帰ったわけですから、職を探さなくてはいけない。求人情報を見ていたとき、ふと不動産関係の会社の募集が目に留まったんです。就職した理由は、給料が良かったから。ただそれだけですよ」
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賃貸仲介へ再就職も入居者と劣悪物件に泣かされる日々
中島氏が再就職を果たしたのは、賃貸仲介とその関連事業を行う業界大手の、福岡支社でした。そして、中島社長の波乱の修行時代が幕を開けたのです。
中島「いま振り返ると、なかなか大変でしたよ。福岡ってね、当時は反社会的勢力の方が多かったので……。
入居してから(反社会的勢力の方だと)判明すれば、規約上退去してもらわないといけない。でも、そんな恐ろしい現実に直面した20歳の新入社員に『お前の責任だから、ひとりで行ってこい』と言い放つ会社でしたからね、もう修羅場です……。
『出ていってやる代わりに、数百万円持ってこい』などと脅されるんですよ。朝から夕方までひたすら土下座して、ようやく諦めて退去してくれるといったようなこともありました。足はシビれ、膀胱はパンパン(泣)」
また当時は区分マンション投資のブームが訪れていたため、福岡にも投資用物件が建ち始めていました。
中島「とにかく入居者のことを考えていない物件が多かったですね。広さは6畳もなくて、『風呂トイレ一緒』とかね。室内に洗濯機置場すらないのに、家賃は高くて6万円前後、東京の相場だと、15万円くらいに相当する額ですよ。そんな部屋を女性客へ斡旋するのは、特に大変でした。
女性は男性に比べて、細かな要望が多く、まったく理想を叶えてあげられていないのに、無理矢理契約させているような感覚を覚えていました。当時は上司から『とにかく決めろ』と、常にプレッシャーをかけられていましたからね」
当時の中島氏は、日々の仕事を精力的にこなしながらも『不動産業界のシステムに迎合しつつも、入居者の住みよさを考慮していない物件』に疑問を抱くようになりました。
中島「当時はお客様にとって不本意な物件を、無理矢理契約に持ち込むという仕事を繰り返していて、(お客様に)申し訳ないという気持ちにしかならなかったです。物件に満足していないから、半年後には退去されてしまう。それがつらかった。
『入居者とオーナーがwin-winの関係を築ける物件』を実現するには、自分で建てて売って、家賃設定も自分で決めなければダメなんだ、という現実を実感した時期でした」
最愛の妻がストレスで「円形脱毛症」に…創業時の苦労
修行時代の中島氏同様、賃貸仲介の仕事に疑問を抱く人は大勢いることでしょう。しかし、「ワンストップでアパート経営を行うことができる企業づくり」を行動に移す経営者は多くありません。一体何が中島氏を駆り立てたのでしょうか?
アイケンジャパン創業の経緯をお尋ねしました。
中島「実をいうと、起業願望は全然なかったんです。でも堪え性がなくて(笑)。相手が上司でも社長でも、仕事の面や、ときには経営に関することでも、疑問を抱くといいたいことをいってしまうんですね。その結果今までに5回も転職している。妻ももう、慣れたもんですよ。夫が帰宅するなり『今日、会社辞めてきた』って言うんですから(笑)」
業界大手の福岡支社を退社後も、不動産業界を転々としてきた中島氏。しかしその過程で一棟物件販売やディベロッパー事業のノウハウも、着実に身につけています。こうして30代前半には『個人事業主』として身を立てることに成功。借金まみれのディベロッパー物件を歩合制で売り捌き、経営を建て直させるという実績も作りました。
中島「9年も経つと(上記の)ディベロッパーの社長からも、煙たがられてしまって。それで40代になったとき、ようやく『自分で正式に会社作るか!』と決心したわけです。最初は夫婦でスタートですよ。妻は専業主婦だったのに、苦労をかけたと思います……。円形脱毛症にさせてしまいましたからね。でもお陰様で1年目から利益が出て、人を雇えるようになりました」
ひょんなきっかけから不動産業界入りし、酸いも甘いも経験した中島氏。次回はアイケンジャパンが好スタートを切った理由や、現在の経営に関する心情や心境について、お話を伺っていくことにします。