(※写真はイメージです/PIXTA)
「もう別れたほうがいいんじゃない?」妻の言葉に絶句
ある日の夕食後、タカシさんは妻に話を切り出しました。
「もう仕事を辞めてもいいんじゃないか。年金だけで十分食べていけるんだし、貯金だってある。無理して働く必要はないだろう」
タカシさんの本音は、夫婦で過ごす時間を増やしたいというものでした。
「せっかく俺も仕事を辞めたんだから、これからは2人で旅行に行ったり、のんびり暮らしたりすればいいじゃないか」
すると、カズエさんはしばらく黙ったあと、思いがけないことを口にしました。
「そんなに私が働くのが嫌なら、もう別れたほうがいいんじゃない?」
タカシさんは驚きました。
「別れるって、どういうことだよ。俺はただ、夫婦で老後を楽しみたいと言っているだけだろう」
すると、カズエさんは目に涙を浮かべながら話し始めました。
「私は外に出て、いろいろな人と話すのが好きなの。パートも楽しいし、友達から仕事を頼まれるのも嬉しい。朗読の会だって、ずっとやってみたかったことなのよ」
そして、こう続けました。
「どうしてあなたは、私を家に縛りつけようとするの? 私が楽しそうにしているのが、そんなに嫌なの? あなたと一緒にいるのが嫌なわけじゃない。でも、あなたと一緒にいることだけで、私の人生を全部埋めたいわけじゃないの。もう自由にさせてほしい」
カズエさんは泣き出してしまいました。
妻の言葉で気づいたこと
カズエさんにとって、今の働き方は、長年の会社員生活を経て手に入れた自由でもありました。
「会社員だったころは、仕事も人間関係も会社が決める部分が大きかったけれど、今は自分で選べる。無理のない範囲で働いて、好きな人たちと付き合って、それが楽しいの」
さらに、こう言われたそうです。
「あなたが仕事をしている間、私だって自分の生活を作ってきたの。それなのに、あなたが退職したからって、今度は私も家にいなきゃいけないの?」
タカシさんは何も言えなくなりました。
「妻が仕事で褒められたり、新しい友達ができたりするのは、本来なら喜ぶべきことなんですよね。でも、自分が家にいるようになったら、妻だけが外で楽しそうにしているのが面白くなくなってしまった」
振り返れば、カズエさんは夫婦で出かけることを拒んでいたわけではありません。旅行に誘ったときも、別の日程を提案していました。
「妻の仕事を応援していたつもりでしたが、それは私の生活に影響がない範囲でのことだったのかもしれません」
カズエさんは今も仕事や趣味を楽しんでいます。一方、タカシさんは退職後の時間をどう過ごすか、まだ模索しているといいます。結婚して40年近く。仕事を辞めて初めて、夫婦が思い描いていた老後の暮らし方が違っていたことに気づいたのでした。
定年退職で変わる夫婦の距離感
日本年金機構によると、2026年度の標準的な夫婦の年金額は月23万7,279円。タカシさん夫妻の年金収入は月32万円と、この金額を大きく上回っています。さらに4,500万円の金融資産があり、経済的には比較的余裕のある家庭といえるでしょう。一方、内閣府「令和8年版高齢社会白書」によると、2025年の65~69歳女性の就業率は46.1%。同年代の女性雇用者のうち、非正規雇用の割合は83.7%に上ります。高齢期には、現役時代とは異なる形で働く人も多くいます。
カズエさんのように、それまでの経験や人脈を生かし、自分のペースで仕事を続ける人もいるでしょう。タカシさんにとって、退職は妻と過ごす時間を取り戻す機会でした。しかし、夫が仕事を辞めたからといって、妻もそれまで築いてきた仕事や人間関係を手放す必要があるわけではありません。
定年退職によって変わるのは、働いていた本人の生活だけではありません。夫婦の時間が増える一方、それまで保たれていた距離感が変わり、新たなすれ違いが生じることもあります。経済的な余裕があるからこそ、どのように時間を使い、誰と過ごすかをそれぞれが選べるはずです。老後を一緒に楽しむことと、お互いの自由を尊重すること。その両立が、これからの夫婦関係には求められるのかもしれません。
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