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十分な貯蓄はあるが、使うわけにはいかない
家に戻ってからも、健一さんは納得できませんでした。
「使ってはいけないお金って何?」
そう尋ねると、洋子さんは「生きていくための保険だ」といいます。そして「私が先に逝けば、このお金は健一のものなんだからいいじゃない」と続けます。
「でも、お金がないというから、俺はずっとお母さんのそばにいたんだよ」
そう健一さんが訴えても、洋子さんはこれ以上、話を続けようとはしませんでした。数日後、健一さんは「俺、家を出ようと思う。一人暮らしをしてみたいんだ」と打ち明けます。今さら一人暮らしへの憧れを叶えようとしている40歳なんて――笑い話かもしれません。それでも、年齢なんて関係ないと言い聞かせて決断したことでした。
健一さんの言葉に対して、洋子さんの反応は早いものでした。
「何言ってるの。私を一人にするの?」
「あなたがいないと、私が困るでしょう。どうやって生活していくの?」
「3,000万円も貯金があるでしょ」というと、「私のお金、あてにしないで」と洋子さん。以前であれば、母親の言葉に納得していたかもしれませんが、今は理不尽さしか感じません。
「もう決めたことだから」と、健一さんは家を出ます。選んだのは、実家から電車で30分ほどの賃貸マンションです。家賃は月13万円。生活費はすべて合わせて20万円強。月5万円の母親へのお小遣いは続けていますが、生活費は1円も出していません。
母親はいまだに納得していません。話をする度に、「冷たい息子になったね」と言われるといいます。それでも「今、ここで家を出ないと、一生、母親を憎んでしまうかもしれない。ずっと嘘をつかれていたわけですから。家族だから、それだけは嫌だった」と健一さん。
国立社会保障・人口問題研究所『2022年社会保障人口問題基本調査 生活と支え合いに関する調査』によると、未婚者で生活費を「自分」が担う割合は62.9%にとどまり、父親が37.3%、母親が25.9%と親に頼る実態もあります。
しかし、「最初の別居(離家)時」には生活費の担い手を「自分」とする割合が15歳時の7.1%から60.2%へと急増します。親との別居は、自身が生活費を担う「経済的自立の契機」となることがデータでも示されています。健一さんの決断は、まさにこの契機を掴み、親子がそれぞれの生活と経済を主体的に考えるための1つの区切りといえます。